東洋哲学研究会

2015.07.25

論語 公冶長第五 20

論語勉強会議事録

2015年7月25日(日)17:15~19:00

開催場所:春秋館

議事内容:本日は、公冶長第五〔20〕について学びました。

テキスト「論語の講義」諸橋轍次


論語 公冶長第五 20

季文子、三思而後行。子聞之曰、再斯可也。

季文子きぶんしたび おもいてしかのちおこなう。これきていわく、ふたたびすれば、ここ なり。

議論

北星:仕事の期限に関して、きちんきちんとやり過ぎて期限に間に合わないよりも、多少、未完成でも期限に間に合った方が良いと。

麦秋:具体的にどういう状況で誰に言ったのかわからない。本当に大切な事は3回考えてもいいのではないか。天子様に対してなど。

瑠璃:この戦国の時代に3回も考えていたら、敵に攻め込まれて、やられてしまう。大夫として優柔不断。敏でない。

柴里:何事も3回という人だったらしい。

麦秋:三顧の礼もあった。

柴里:三顧の礼は、蜀の劉備が三度も諸葛亮の庵を訪れて軍師に迎えたこと。目上の人が礼を厚くして頼んだこと。

瑠璃:これは3回頭で考えていたこと。戦略を含めた実践的な行動とは違う。

重只:孔子様は、過ぎたるは及ばざるが如し、という事を仰っているのではないか。天子に対してなどの重要な事は特例であり、日常の事を毎回3回考えるのは考えすぎと仰っていると思う。

麦秋:外交官をやっていて李文子は優秀。

柴里:季文子の失敗例として、「この人物は慎重をもって聞こえたらしく、『春秋』にその外交活動のはじめとして記載する晋国への出使のとき、晋の君主が病気であると聞くと、早手廻しに、会葬の用意をもととのえて出発した。それがすなわち、『三たび思うて而る後に行う』例であると、朱子の新注にはいう。つまり慎重すぎる人物であったため、何ごとを行動するにも、三度考えてから行動した。孔子はその話を聞くと、三度は多すぎる、二度考慮すればそれでよい、と批評したというのが、やはり朱子の新注の説である。」(「論語上」吉川幸次郎監修153ページ、朝日文庫)また、左伝の文公六年621B.C.にこの病気見舞いの事例で、「文子は言った。『不慮の事態に備えよ、とは古の善き教訓だ。いざという時、間に合わぬのでは困る。準備が過ぎても、害はあるまい』」(「春秋左氏伝上」小倉芳彦訳341ページ、岩波文庫)とありました。

麦秋:早とちり。優柔不断ではない。

北星:考えすぎの人。

凡知:孔子様から見たら、先程言われた通り、過ぎたるは及ばざるが如しで、考えすぎの人。先進第十一[二〇] (「論語の講義」諸橋轍次著)に「師から聞いた事に対し、子路は父母などの立場や実情を考慮した上で行なうのがよく、冉有はそのまま行なうとよい」とあり、その人の性癖に合わせ思慮の処し方も違ってくる。そして、李文子に対しては本章のように再度の思考で足ると、孔子様は李文子の性癖を見抜いてそう仰った。

佑弥:李文子に対する対機説法。

柴里:李文子は孔子様よりも過去の人で出会ってはいない(孔子様の生まれる13年前、襄公五年568B.C.に季文子は亡くなっている)。

佑弥:過去の人だけど、どのような人であったか、噂や記録が残っているのでは。何の立場で考え直すのかにより違う。また、周りの目を色々と気にして変わる優柔不断なのか。結論を出す為の材料は充分だったのか?最終的に良い結果を導いているなら話は違うが、良い結果ではないので。

麦秋:絶対的真理ではない。

瑠璃:考え過ぎより、少し愚かではないか?自分への評価を計算し、邪念があるのではないか?

佑弥:国をまとめる立場のものは、器が大きく、知恵を持ち、機を逃さず決断できるものでなければ。

重只:なぜ李文子はこうだったでしょうのか。保身からなのか、愛情からなのか。毎回3回考えた動機が何かによってだいぶ変わってくると思う。

北星:事実がどういう状況か分からないが、通常の我々の場合、病気と聞いてすぐに葬式の準備をしていたら愛情はない。

柴里:李文子が良くやったという話しもある。吉川幸次郎監修論語上153ページに、私財を蓄えなかったこと「その家にはきぬる妾なく、こめ を食う馬なく、金玉を蔵する無く、重き器備無し、君子是れを以って季文子の公室に忠なるを知る也。三君にしょうたり矣、而して私積なし、忠と謂わざるべけんや」。三君とは魯の宣公、成公、襄公である」(左伝の襄公五年)と、姫君をお届けしたこと「成公の姉妹の姫君を、嫁入り先の宋のくにに送りとどけてかえって来たとき、母君の穆姜ぼくきょうが、おくむきから出て来て、かれの前に二度ひざまずき、『大夫は勤辱にして、先君を忘れず、以って嗣君に及び、施いては未亡人に及ぶ』と、礼をいったというのは、大奥が彼によせた信頼である。」(左伝の成公九年)。

瑠璃:上に立つ身でありながら、なぜ1回で決断しないのか?出来ないのか?なぜためらうのか?

凡知:いつやるかが重要。やるべき時がある。

北星:機を逸するなということ。

麦秋:3回考えて葬式に行き着いたのであれば、2回考えたらどうなのか?

柴里:李文子は賢者と評されている解説もある。

佑弥:考え「過ぎる」ということ。過ぎると、拘りや欲心があり、良い結果を得ない。機を逃す。素直で思惑ないなら、スッと決断できるということか。

北星:欲心があるからこうなったということ?

瑠璃:智慧があるなら3回も考えないでしょう。機に敏として一度で即決してゆけるかもしれない。

北星:素直な真面目な人であっても考え過ぎるというのは陥りやすい。

凡知:ぱっと割り切って。

柴里:小人は飾る。

北星:飾るとは、言い訳をするという意味ですね。

瑠璃:李文子はいい人なのか。孔子様に評価されるべき人なのか。葬式の話はあり得ない。

北星:事実関係は分からないが悪気はないような話ではないか。普通の場合は死んで欲しくないので病気と聞いても葬式の用意はしないけれど。

正志:(この立場の人なら)喪服を前もって用意しといては駄目なの?

佑弥:関係性にもよるが、親しい関係で、病気と聞いたら、治る事をただ祈り、心配し、喪服など、縁起でもない事を考えたくもない。というか頭にない。

柴里:もう一つの解釈。二度で良かったんだろう。

麦秋:決断の遅い人は2回で良い。

北星:本当に大切なことは3度どころかずっと考えている。

凡知:思考錯誤の段階では100回でも200回でもいい。結論を見直すのは3回位なら許されるが、1回でやらねばならない時もある。 

瑠璃:考えを変えることと修正とは違う。核となるところは変わらない。

北星:枝葉のところは変わるけれども根本のところは変わらないのだと思う。

麦秋:私のようなタイプには4回考えろと仰られると思う。

佑弥:李文子さんは建設的に考えるのとは違うのでは。3回というのは、4回、それ以上の事を言い、考え過ぎ(良い結果を得ない)を言い表しているのではないのか。

麦秋:でも優秀な外交官だったのでしょ。

佑弥:優秀と思う人にとっては優秀だった。もっと(本質的に)優秀になったのでは?

重只:(世間では評価されていたとしても)孔子様の説かれる所の、人の目指すべき道には適ってはいないという事かと思います。

麦秋:良いことの実例はある。3回何について考えたか。

瑠璃:3回考える人は4回考えても結果として、同じような迷いに陥るのではないか。1回ごとに迷いの形、質のようなものは違うのかもしれない。

佑弥:毎回3回と決めているとしたら、次々きていたら、進まなくなる。滞る。

北星:孔子様の批評には、李文子は優秀だから2回で良いと言われた可能性もあるのでは?

麦秋:ある。

北星:即決出来るのはその前にたくさん考えているからなのではないか。

凡知:浅はかな人はあっさり決断する。そういう即決もある。

瑠璃:国の事を考えるならば、即座の状況判断が必要。

佑弥:例えば、震災の食料配布の時、餓死しそうな老人がいても、先に渡さず、全人数分そろってから、配布しようとする余計な考え。即決できない話。何がこの時、一番大事か即決して動けなければ駄目だという立場の人の話。

凡知:考え過ぎの人は、雑念や欲が湧き、又、惑いが生じ、時機を逸する。

北星:李文子は緊急事態でも即決できない人なのだろうか?

瑠璃:知恵があれば、多くを救える。

佑弥:常に省みながらも、同時に国を司る人にはスピードが求められる。

重只:李文子は素直な人でしょうか?

北星:ひねくれた人ではないと思う。

重只:どうしても、いろいろ考えてしまう人だったのではないでしょうか。そのような人は素直ではないでしょうか?

凡知:李文子はいつもいつも熟考してしまうのが良くない。

瑠璃:考え過ぎると余計な事までをも考えてしまう。

重只:一を聞いて十を知ろうとして、何度も考えていたというのは違うのでしょうか。

北星:考えが正しかったら知る人といえるのでは。

重只:葬式の準備をする事が良くない事であれば、現代のサラリーマンが、いつでも法事に行けるように、黒いネクタイを常にロッカーに入れている事とは違うのか。

北星:李文子は仕事として葬式の用意をしたのではないか。

瑠璃:会社で誰かが病気になりました、そうしたらお葬式の準備をしましょうというのは変でしょ?

重只:ピラミッドや古墳の例もある。事前に墓の事を準備するのは昔は普通だったのでは?

北星:その場合は王が自ら用意させたので、また意味が違う。

重只:やはり孔子様がご指摘されているという事は、3回考える事を欲からやっていた方なのでしょうか。

麦秋:資料がない。

北星:文は良いおくり名でしたよね。

瑠璃:仁や義、忠などの想いがなかったのでは?3回考え直すことに礼も感じない。

麦秋:忠はあった。「左氏伝」には、彼をたたえていう、「その家にはきぬを衣る妾なく、粟を食う馬なく、金玉を蔵する無く、重き器備無し、君子是れを以って季文子の公室に忠なるを知る也。三君にしょうたり矣、而して私積なし、忠と謂わざるべけんや」とある。

佑弥:病気と聞いて葬式の準備をするようでは、愛情を感じない。義も忠もないと思う。

正志:しばしば左伝と孔子様の評価とは違いますね。

佑弥:記録する人の主観が入ってくる。

正志:孔子様は実態を看破されたと言うことだと思う。

麦秋:李文子は孔子様がお生まれになる10年くらい前の人。

重只:当時は、「物事を3回考えなおして事にあたった季文子」という事で立派な方として有名だったのだと思う。

凡知:簡野道明_論語解義に「李文子は凡そ一事を行なわんとすれば、三度思慮をねりて後に行なう。此事を伝え聞いた孔子様は、思慮再に至れば、已にあきらかなる故に、断行すべきなり。李文子は慮や疑多くして自ら決することが出来ず、事々に三思して後に行なう。孔子様はこれを改めさせようとしてこのように仰った。」 とある。

凡知:決断が遅い事で、機を逸して、だから文。孔子様は憂えていた。

重只:え、どうしてですか?「文」というのは良くない事なのでしょうか。

凡知:文は、「学に勤め、問を好むを以て文と為す」者に与えられる諡号である。そのため、思慮多く、慎重なため決断が遅くなり、どうしても実行が後になり、時機、勝機を逸することになる。

瑠璃:文とつくのは変な人ばかり出てくる。

佑弥:世間や記録をした人には評価されているが、国を司る立場を考えるとそれでは駄目ということ。

麦秋:左伝にそういう人が載るかな。

佑弥:日本の古事記のようなものとは違うのではないか。左伝を記録する役目の人や当時の一般的主観で評価されたものが選択されるのでは?価値観が違えば選択されないと思う。

瑠璃:政治家をやっていて、大した功績もないのに、在任期間が長いだけで勲章をもらったりする。それと同じような諡号もあったかもしれない。今、我々は左伝に行きすぎている。あくまで左伝は左伝、本流ではない。参考に留めるべき。しかも同じ議論を言葉を変えて繰り返している。李文子と同じことをやっていないか。

柴里:(春秋左氏伝中、小倉芳彦訳151ページ、岩波文庫)に、「以前に季孫(季文子)は己のために、蒲圃ほほの東門の外にひさぎを六本植えさせていた。匠慶しょうけいが〔定娰ていじの〕棺材を要求すると、季孫は「簡略にせよ」と言ったが、匠慶は蒲圃の檟を使用し、季孫はそれを禁止しなかった。」とあります。定娰は成公の妾、㐮公の生母です。匠慶は大工の長です。

北星:愛情は感じない。

瑠璃:愛情がなければ忠もない。

以上