東洋哲学研究会
2015.07.05
論語 公冶長第五 17
論語勉強会議事録
2015年7月5日(日)17:00~19:00
開催場所:春秋館
議論内容:本日は、先週行いました、公冶長第五[一七]を再度、議論致しました。
テキスト「論語の講義」諸橋轍次
論語 公治長第五 17
子曰、晏平仲、善與人交。久而敬之。
子曰く、
議論
奏江:長く交われば交わるほど、人の悪いところが見えてしまうが、晏平仲は人の長所を見ることができたので、相手を敬うことができたのでしょうか?
佑弥:「相手を尊敬する」と「相手から尊敬される」という両方の解釈がある。
奏江:晏平仲は何が優れていたのか。
冥加:政治的手腕があった。尊敬されていたけど、ただ、祭事にお金を使いすぎるからダメだと孔子様を否定した。
佑弥:今、柴里さんが見せてくれた金谷治著の「孔子」(349頁)によると、「墨子」の書の中に孔子様の説話があり、それが本当であればの話だが、晏平仲が孔子様を断った理由に、「天命をかかげてそれを口実にして仕事を怠け、葬礼を手厚くして悲哀をつくすもので、とても政治にあてることはできない」とあり、腹が立った。晏平仲は、義や仁を重んじる所までの人ではないと感じた。(勉強会後にこの本文を確認したが、これは後の時代に書かれたもので、孔子様を非難する墨家側に都合の良いように作り変えたものだと金谷治氏が言っており、史実とは違う可能性がある。)
冥加:凡夫の感覚では現実を優先してしまうのが普通か。
佑弥:孔子様の事を理解していれば、違っていたかもしれない。
北星:その時代に孔子様が突然現れたら、素晴らしさを理解するのは難しいのではないか。我々は論語などで孔子様の素晴らしさを知っているから分かるのではないか。
佑弥:晏平仲なりに国を思っての事で、一生懸命なのはわかるが、なまじ才があり、実績があるために孔子様のお教えに委ねようとはしなかった。晏平仲の上司は孔子様に聞く耳を持っていた。自分が正しいという判断があると、委ねることをしない。
麦秋:晏平仲は実績がある。政治力の手腕がある。うまく調整して国を守った。そこを孔子様は評価された。国同士が争いではなく、話し合いで折り合いをつけた実務能力は凄いと思う。
北星:この文だけでは実際のところは分からない。
冥加:智慧と才能の違い。当初、晏平仲が敬われるのは智慧が開けているからと思ったが、段々そうではないというように思えた。庶民にとっては才があれば敬われる。印象が変わった。
奏江:人の良いところを見ているとその人は良くなっていくのだろうか。
冥加:良いところは伸びるかもしれないが、悪いところは切り捨てていかなければならない。
佑弥:誤った方向にいくのは良くない。おかしい事はおかしい、と言わなければならない。
冥加:褒めていれば伸びていくだけではない。それによって悪いところがマスクされて見えなくなる。真理を見透す目がなくては分からない。
佑弥:晏平仲は保守的に、国、自分を守る方向にいったのではないか?
冥加:孔子様の優秀さを恐れたのかもしれない。
北星:それは有り得る。
冥加:景公さんは欲しかったわけでしょ。
北星:自身の仕官を妨げられたにも拘わらず、孔子様は晏平仲を評価された。
瑠璃:論語のこの中においては、孔子様はだから凄いのだということを言いたかった。
冥加:ビジネス書の話だと、自分を否定した者を評価する孔子様は素晴らしいと成るはず。きちんと評価したのは素晴らしい。
凡知:晏平仲は人(小人)の欲求に上手く対処したが故に、人(小人)からそれなりに評価された。
正志:でも、孔子様が仁者ではあるが現実主義者ではない、だから採用できない、ということは考えられないだろうか。
凡知:正志さんの現実主義でないというのは、今だけをみるのではなく50~100年後の大局をみているということ。
佑弥:仁者は現実を伴っていると思う。そのように動いていなければ仁者とは言えない。
奏江:仁者が政治をしようとするならば、国の誇りを守り、国家の真の繁栄と国民の真の幸せを望んで国を治めていくのではないかと思う。しかし仁者にまで至っていないような凡夫が政を行うと、いくら実際の政治的手腕が優れていたとしても、それは自分の欲を満たすために、或いはその政に関わっているものたちの欲を満たす政を行う方向にいってしまうのではないか。自分たちの利益を守ることしか考えていないような凡夫には仁者のような高徳な思いは理解できないと思う。
佑弥:例えば水不足で、井戸が出来れば多くの人達が助かる。目の前の現実にすぐに対処しないと現実に伴わないように思えるかもしれないが、井戸を掘る発想というものがある。
冥加:正志さんの現実主義とは、時代背景を考えると、敵を捕らえて塩漬けにする時代。仁と大きな隔たりがあったのでは。孔子様は非現実的ではと晏平仲に断じられたから、受け入れられなかった。
柴里:仁者がトップとなっていたら政治とは矛盾しないのでは。
奏江:礼が当たり前のように行われていた時代に周公は生きていた。
冥加:昔から激しい。自分が主導権を握ったら反対勢力は全て殲滅。
麦秋:当時の中国では自分の奥さんを殺して、もてなしたことが美談になる。そういうお国柄。
佑弥:乱れた世だから孔子様は忠恕を説かれた。両親、家族を大切にと。
正志:果たして孔子様もそのような現実主義者であられたのだろうか?
麦秋:孔子様は夾谷の会において、道化役やコビトたちが、おどけた身振りをして出て来た時に、いやしき匹夫の身をもって、殿さまがたを惑わすとは、その罪は死刑にあたりますとし、役人に彼らの処刑を命じ、役人は彼らの手と足をばらばらに切りはなした。
北星:長い目で見たなら、孔子様を雇った方が良かった。
麦秋:諸侯にとっては孔子様を雇わない方がよいが、庶民にとっては雇った方がよかったのではないか。冥加:小国を守るためには兵力が必要。敵多ければ、他国が攻めてくればやられてしまう。兵を養うに金がかかるから孔子様は雇えない。
北星:孔子様がトップになったら、極端な話、他国の礼が優れていれば国を差し出すことすらあるのでは。恵公や晏平仲は困る。
重只:孔子様は、必死に理想を求められて生きられた方だけれど、ご自身も一世で当時の国を理想通りに変えられるとは思われていなかったのではないか。凡知さんの言うとおり百年二百年、ずっと先を見られていたのではないかと思う。
凡知:孔子様は形、序を重視しているようで、窮屈な感じがする。汚いことや嫌なことに手を突っ込んで行かないと、現実問題を改善するのは難かしい。
佑弥:孔子様は実績がおありではなかった。晏平仲が国を守った実績があり、現実の周りの状況が良くわかる人物であれば、孔子様がなさる事に対し、「そのようにされるとこのような問題が出てきます。その場合はどう対処されますか?」と次々に問い、(敬意を持ち)納得するまで話し合うという事がなされれば良かったのではないか。
北星:皆は晏平仲と同じ立場だったらどうする?晏平仲が孔子様を仁者と分かっていたら必ず使うのだろうか?仁者でなければ仁者は本当には分からない。景公も仁者ではないということになる。
凡知:孔子様は必死。だが、時間をかける、時間がかかる。もっと現実的に柔軟に対処されていれば。
冥加:もっと戦略的に動けば良かった。老子様はそういうタイプ。だから政治には関わらなかったのでは。
凡知:使えるものは何でも使うという現実主義。
正志:では更に一歩踏み込んで、もし諸葛孔明が仕官したいと言ってきたら、使うべきなのだろうか?三国鼎立の様な大きい策を出せる人が必要な時と場、もっと小さな策しか思いつけない人が必要な時と場、そうした時と場の違いみたいなことはあるのではないだろうか。
佑弥:例えば、火事にならないように、その原因を見つけて正していこう。火事にしないようにしようというのが孔子様。まさに今燃えている、その火を消そうとしているのが晏平仲。火事の最中に、孔子様の仰る事なんて聞いてなんかいられません、というもの。しかし、火事にならないようにしてゆかなければ、永遠と繰り返される。
重只:周公の時代は礼が廃れていなかったのでしょうか。
佑弥:良い時代があったから、孔子様はその時代をまねようとされた、ある意味現実的。
重只:礼の必要のない時代とはどのようなものなのか想像が出来ないです。
<孔子様が目指された周公の時代に話が及びました。また、道失われて仁あり、仁失われて義あり、義失われて礼あり、ということから昔の時代はどんなものだったかという方向に議論が進みました。原始時代に人は純粋だったか?との話になり、礼の必要のない時代とは、どのような時代であったのか、人口も少ない太古、自然との調和など話が広がってしまいました。>
奏江:どんな状況下にあっても我々の遺伝子には良いものを選ぶか、悪いものを選ぶかの選択の自由がある。そこに無限の可能性を感じる。
以上