東洋哲学研究会

2015.05.17

論語 公冶長第五 5~7

論語勉強会議事録

2015年5月17日(日)16:10-18:10

開催場所:春秋館

議事内容:本日は、公冶長第五〔5〕~〔7〕について、議論致しました。

テキスト「論語の講義」諸橋轍次


論語 公冶長第五 5

或曰、雍也仁而不佞。子曰、焉用佞。禦人以口給、屢憎於人。不知其仁、焉用佞。

あるひといわく、ようじんなれどもねいならず。子曰く、いずくんぞ佞を用いん。人にあたるに口給こうきゅうを以てすれば、しばしば人に憎まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。

議論

瑠璃:ようは、徳行の人で、字は仲弓、十哲の一人で孔子より29歳若い。ねい(弁才)がない。

冥加:仁の話?

瑠璃:この編は弟子の事をあれこれ評価している。

北星:ある人のことを仁者なのかそうでないかと問われた時の孔子様のお答えには「わからない」というものが多いが、「わからない」という答えは暗に仁者ではないと言っているのか?

瑠璃:仁者だと分かっていても、差し障りがあるので、分からないと答えたのかも。

正志:仁者は君子より上なのですね?

冥加:十哲は君子だろうね。

瑠璃:この解説本では君子の捉え方が違う。

北星:それでは、仁者は論語の中では誰?顔回は仁者であるように思えるが。

瑠璃:仁者になれば、自ら仁者と見極められるのではないか。

冥加:仁者は器ならず、固定されたら仁者でない。

冥加:公冶長第五[八]では、孟武伯は上司だから、部下の子路について仁者かどうか答えなかった。

佑弥:仁=弁才があるとはいえないという事。弁才があるのが優れていると思い込む意識に対して、そうではないと孔子様が答えられた。元の心がどうであるか問われている。

奏江:或る人は、仁者というのがどのような人物かわかっていないように思える。それにもかかわらず、雍という人物のことを仁者であるとかないとかいうのは、だいそれたことだと思う。わかっていないにもかかわらず、判断し、言い切るのは違和感がある。或る人は十哲以外の誰か。百哲でもない。或る人は自分が仁者とはどのような人物かがよくわかっていないということがここでは明らかになってしまったように思う。

北星:或る人は弁才のある人かも。自分に弁才があるからこんな批評をするということもありそう。

冥加:あいつって、仁者かもしれないが、弁才ないよねと、言いたかったのか。

瑠璃:だいたいあいつは、と不満な思いを言いたいだけ?

冥加:中傷に近いのか。そんなこといっていると、怨まれるよと、或る人をたしなめたのか。

筑波:仁者に弁才の必要はないが、仁者になったら弁才あるようになるのか。哲学では言葉が大事なので。

佑弥:語るのか?仁者はその行動(心)そのものが仁だから。

凡知:語る必要はないのでは。

冥加:弁才は単なる技術。仁者になれば自然に語れば、真理を語れるので、仁者は語れる。対機説法。真理を語るので。

北星:仁とはこれですと一つでは言えないもの。論語の中でも仁についての答えは場面で異なるが、その全てが正しいのだと思う。

筑波:そうすると、仁がわかっているか、弁才で語っているか、見分けられるか?

奏江:同じ行為をしたとしても、仁者であるか弁才のある人かでその意味するところが違ってくる。

冥加:記憶力のいい人はぺらぺらしゃべるが、その人に適った内容は、仁者でないとしゃべれない。仁者は弁才にたよらない。違う行動をとる。相手に一番必要なことをする。

正志:イエス様は姦淫した女を許すのかときかれ、「石を投げよ、ただ姦淫の心を持ったことなければ」と応じられた。これはもう弁才ということではなく、居る所が違う、そうしたことなんだと思う。

筑波:意識することなく、行なう事が出来る。

重只:弁才は能力だから、仁とは別の次元であると仰ったのではないか。

瑠璃:仲弓自体が寡黙、人付き合いのない、ぶっきらぼうだった。優秀だったが。当時は、口数のある人が、功をおさめる風潮もあったらしい、との解説もある。

冥加:だからこそ、孔子様は弁でなく行為をみられた。言うだけ番長でなく。

重只:ぶっきらぼうで思ったのですが、もっとしゃべって導いてくれたらいいのに、とある人は思ったのかも。

北星:それはないと思う。孔子様に十哲の批評を言うような人はそうは考えないと思う。

奏江:私の解釈をお伝えしてもいいですか。これは弁と仁の関係を述べている。仁者たるに弁才である必要はない。仁者であるためには、言に謹んで弁を論ずる。その論じ方が問題なのであって、口任せで多くを語り、誠がないようでは弁の意味もない。役にたたない。

北星:推測だけれど、「ある人」は自分より格上の十哲を批評しているように感じる。

朝顔:自分が優位に立ちたいとしゃべっている。文章で見ると分かりやすいが、実際はこういう批判はしがちではないか。

北星:そうそう。よくしがちな批判だ。

冥加:それをいさめた。

佑弥:ただ単純に聞いたのでは?

北星:格上の人の批判は、普通はしない。

奏江:「事に敏にして、言に謹しみ、有道について正す。学を好むというべきのみ」、という一節もある。口数が多いことは好ましく思われていなかったのではないか。

重只:巧言令色鮮なし仁。

冥加:才があればなんでも言ってよい、じゃないよ。

凡知:先進第十一の[二十三]に次のようにあります。
子路、子羔をして費の宰爲さいたらしめんとす。子曰く、の人の子をそこなわん。子路曰く、民人みんじん有り、社稷しゃしょく有り。何ぞ必ずしも書をみて、然る後に學と爲さん。子曰く、是の故に、夫の佞者を惡む。子路が子羔しこうを費という土地の村長にしようとした。孔子様が「羔は未だ学問道中半で、村長になったら彼の学問を害することになるので、学問成就まで待て」言われた。それに対して子路は「書を読むことだけが学問ではなく、世間で実践するのもあります」と自分の至らなさを飾った言葉で抗弁した。孔子様は「そのような抗弁をする世間の口達者を惡むのである」と子路を戒めた。

佑弥:子路が子羔を村長にしようとした。孔子様は、子羔のことをわかって、早く登用されて子羔がつぶれることを恐れ、そこに思いがゆかない子路を諌めた。

冥加:夫の人は子羔のこと。民人は、一般庶民と役人のこと。

佑弥:子羔が長である村人にとってもよくないこと。

瑠璃:この解釈だと子羔。

冥加:子羔が佞者だから。子路は子羔が口達者だとわかっていて、子路がぐちゃぐちゃと勉強することだけが勉強じゃないよね。というから、孔子様は「あの佞者だめだ」とはっきりお伝えした。

北星:子路が己の過ちをごまかそうとするのを孔子様は戒めた。

凡知:夫の人の子とは子羔のこと。子羔自身のためにもよくない。

瑠璃:子路に対しては正面からのお諌めをそらした。

凡知:理屈をつけて。

瑠璃:子路は軽い感じの人で登場している。

重只:どういう佞者。 

北星:「事に敏にして言に慎み」など論語の中ではよくしゃべる人は評価されない。

佑弥:ぺらぺらがよくない。(子路も今、まさに現状がわからず洞察力なく、世間一般の人と同じ口達者になっている。)

凡知:その場にふさわしいことが言えるかが大事。

冥加:わたしは、つい嫌味をいってしまいます。

奏江:小学校でディベートがあるのは論理的に物事を相手に伝えるためのものではないのか。

正志:そうした教育(人間的要素)の必要性は論語では顧みられていないのかしら?

朝顔:必要ないのでなく。

奏江:いくら論理的なものの言い方を学んだとしても人を思いやるとか。そういう哲学が無ければ、ディベートを学ぶ意義があるのだろうか。


公冶長第五 6

子使漆雕開仕。對曰、吾斯之未能信。子説。

子、漆雕開しっちょうかいをしてつかえしめんとす。こたえて曰く、吾はこれれ未だ信ずること能わずと。子説しよろこぶ。

議論

冥加:公冶長第五[五]と真逆だよね。漆雕開さんは仕えなかった、ボーダーラインだったのか?仕えてもよかったのか。

佑弥:仕官するよりも自己の完成を漆雕開が求めることを、孔子様は喜ばれた。

正志:遠慮するというよりは、自分を突き放して冷徹に自分自身を見た、そうした漆雕開の姿勢を孔子様は感じられ愛されたのかも知れない。

瑠璃:漆雕開ならできるから言われた。

奏江:孔子様は出来ると思われていたのでは。(漆雕開は)身の程を知っていた。

佑弥:できなければ、仕官して迷惑かける。

瑠璃:孔子様に迷惑かけないようにした。

北星:100%の自信がないから断った。

重只:自分の師がおすすめして下さった事をお断りすることはどうなのだろう。

奏江:自分でここまでできなければ、という段階があってそこまでは今はできないと判断したから、できると言わなかったのではないか。

佑弥:私なら、師がお勧めして下さっても迷惑をかけてしまうものはやらないと思う。その人の状況をご存知ない事もあるので。自分ができないと思えば、もっと他にできる人を勧めたり、誰から言われても断る。

重只:ぼくなら師に勧められたらやる。

冥加:とりあえず言っておこうみたいなところはある。

北星:私の場合だと、師から勧められたら100%近い自信がなければ断るが(師に迷惑をかけたらいけないと考え)、師以外の依頼ならなんとかなるさと思って受けてしまいそう。

朝顔:漆雕開はどんな人?

瑠璃:孔子様より11歳下。不器用ながら学問に一途な人間。この箇所にしか出てこない。魯の人。仕官は学問を実際に政治に応用する資格。公務員。堅物か?

北星:仕官しても勉強する事はできないか? 

凡知:彼は、確信が持てるまで仕官を見合わせるタイプ。それより自己の完成を目指す。

冥加:全力投球。公務員は兼業禁止。


公冶長第五 7

子曰、道不行、乘桴浮干海。從我者、其由與。子路聞之喜。子曰、由也好勇過我。無所取材。

子曰く、道行みちおこなわれず、いかだに乗りて海にうかばん。我に従わん者は、其れゆうかと。子路之を聞いて喜ぶ。子曰く、由や勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。

議論

重只:孔子様が、この世をはかなんで、去りたい、お供をするのは子路ぐらいかと言われた。

冥加:飼い犬でもよかったのかも。たまたまそこにいたから?

重只:その解釈は思い付かなかった。

凡知:子路には志はあるが、それを遂行する才能は無い。

奏江:孔子様はこの世をお嘆きになったのに、子路はなぜはしゃいでしまったのか。そこに孔子様はがっかりされた。

冥加:そこが犬なのだ。

重只:そういった子路だから師は信頼されていたのではないか。

瑠璃:子路は、すごい人(孔子様)がいるというので、鶏と豚を両手に持って会いに行き、論破されて弟子になった。

北星:子路は最後は主君を守ろうとして殺されてしまう。「君子は死ぬときも冠を正す」と言葉を残した。

冥加:純粋ないい人だ。

朝顔:自分のことを言われているようで、穴があったら入りたい。

瑠璃:愛弟子なんだよ。

奏江:孔子様の世の乱れを嘆くお気持ちを、由は察することができていない。孔子様の言わんとするところを考えようとしていない。孔子様のお言葉にはしゃいでしまっている。身の程をわきまえていない。あわれな感じがする。

凡知:御釈迦様の弟子の阿難尊者に似ている。

北星:孔子様も子路でなければこのようには仰らなかったと思う。

凡知:子路はいいですね。この性格。

北星:子路は孔子様に嫌われたらがっくり落ち込むタイプに思える。

奏江:子路は思慮分別がたりない。

佑弥:子路は孔子様の仰ることを実践しようとして、それができないうちに次の教えを聞くことを恐れるというような面があったらしい。

冥加:一緒にいて楽しそう。

瑠璃:子路は一本気で勇敢。即断即決、9歳下。論語の中に一番多く出てくる。

以上