東洋哲学研究会
2015.05.24
論語 公冶長第五 8・9
論語勉強会議事録
2015年5月24日(日)14:45~17:00
開催場所:春秋館
議事内容:本日は、公冶長第五[八]、[九]を学びました。
テキスト「論語の講義」諸橋轍次
公冶長第五 8
孟武伯問、子路仁乎。子曰、不知也。又問。子曰、由也、千乘之國、可使治其賦也。不知其仁也。求也何如。子曰、求也、千室之邑、百乘之家、可使爲之宰也。不知其仁也。赤也何如。子曰、赤也、束帶立於朝、可使與賓客言也。不知其仁也。
議論
柴里:三人は他の訓示にもでている。先進第十一[二四]、先進第十一[二十]、先進第十一[二二]。
麦秋:三人が言った事を孔子様がそのまま伝えている内容である。
奏江:孔子様がご判断されたわけではないのですね。
麦秋:先進第十一[二四](孔子様が子路、求、赤、點の四人の弟子に対し、汝を知り用いようとする者あれば、汝は何を以って之の応じると問われ、各々が抱負や心持ちを述べたもの)を見るとわかる。世の中的な能力は認めているが、仁者とは限らないと。孔子様が仁者と認めているのは二名のみと書いてあった覚えがある。
瑠璃:述而第七[十四]に、伯夷・叔齊は仁を求めて仁を得たりとある。仁者と認めている。
北星:古の賢人とある伯夷・叔齊という人は昔の人。論語の中では仁者は誰?
柴里:伯夷・叔齊は殷末周初の時代の人。兄弟で、文王の徳を慕って周に移った。
朝顔:孔子様も仁者ではない!?
佑弥:仁者だったと思う。述而第七[二九]「子曰く、仁は遠からんや。我、仁を欲すれば、斯に仁至る。」とある。また、里仁第四[六]「能く一日も其の力を仁に用うること有らんか、我は未だ力の足らざる者を見ず。」とあることから孔子様は仁者であったと思う。仁は遠いものであるものか!という孔子様の熱い思いを感じる。
筑波:十五にして~という有名な訓示にあるように「七十にして矩を踰えず」といっているから仁者。
瑠璃:この段階では仁者ではなかった可能性もある。
北星:天命を知るというのはまだ仁者ではないという事?
凡知:仁者に至ってはいない。
重只:そもそも仁者って?
一同:それは聞いちゃいけない。自分で考えないと。
凡知:公冶長第五[二六]に孔子、顔回、子路の志を述べている。注釈本に、程子曰く「夫子は仁に安んじ、顔淵は仁に違わず、子路は仁を求む」と。又、里仁第四[二]に「仁者は仁に安んじ、知者は仁に利す」とある。ここまで行けばそれは仁者であるのでは。
佑弥:仁を意識せずにやっている。人が空気を吸わないと死んでしまうように仁者は仁を行なう。
重只:仁者とは行動そのものが仁に基づいているから仁者というのではないでしょうか。
瑠璃:仁者は何をしても仁の道から外れない、矩を超えることはない。仁者ということを意識している時点で仁者とはいえないのではないか。
北星:実務能力と仁者であるかないかは関係ないから、わからないと回答されているのではないか。
瑠璃:実務をするにあたって、国や民を思う志があっての実務なのか、自分の利益や権勢欲の行使のためなのか、利他の有無で、仁があるかどうか分かるのかもしれない。孔子様は分かっているけれども、敢えて分からないと御答えになっているのかと思う。
麦秋:就職活動だから、自分の弟子を悪くは言えない。仁者かどうかは置いといてという意味では。
奏江:国を治める能力のある人は沢山いるが、その人たちが仁者とは限らない。だから国が乱れる。仁者が国を治めるのと、仁者ではない人が治めるのとでは治め方が違う。
筑波:それを孔子様は説いている。
北星:徳治政治の理想まではいかないけれど子路らには国を治める力がある。
筑波:実際の行動によって仁を問う。
奏江:同じ実務能力を持っていたら、仁者と仁者でない方の行動に差が出てくる。
重只:仁者の方が国をうまく治められるということでしょうか。
北星:孟武伯は子路らが仁者かどうかを聞いている。能力があるかないかを聞いてはいない。
瑠璃:(明治書院の論語解説から)「孔子様は三人の手腕、実績を認めながらも仁だけは簡単に許さないという気持ちを表している。仁の道は至大なり。三子は才徳優なりと雖も、未だ全名に当たる能はず。然れども不仁なる者に非ず」と出ている。
正志:未だ至らずと答えられた方が本人のためにも良いような気がするのだけれど、何で「知らず」なんでしょうネ?
北星:あいまいにしといたほうが。
麦秋:孟武伯がいう仁者は仕事が出来るか否かという意味で聞いたのではないか?
奏江:仁者ですか?と聞く事自体が
佑弥:先進第十一[二四]を先に読むなら、「自分の事が知られていない事を嘆いているが、自分たちを知ってくれる人がいたらどうするか?」という質問に対して「他に譲る」思いがなかった。三人とも現実の目の前の人の幸せに対するイメージでなく、自分の事のイメージが先んじて、忠恕ではない。
奏江:目の前の事や身近な人に心を向けられるかどうかが問われているのではないか。
柴里:先進第十一[二四]の「二人共にその言葉に礼譲を外れるところがない」(「論語の講義」諸橋轍次)という解説部分について、「へんにもってまわったいいかたをしている」とのみ書いている別の解説(「論語」吉川幸次郎)がある。
佑弥:先進第十一[二四]の流れから考えると、自分よりも他を重んじる精神がないといけないのではないか。
北星:解説には、孟武伯は子路らの人物評を通じて孔子様の仁道がいかなるものか尋ねた、とある。
朝顔:仁というもののあらわし方として「その仁を知らず」と答えた。
北星:孔子様のお答えは孟武伯という人物に対しての「仁」というものの答えだと思う。
瑠璃:対機説法をもって、孟武伯が理解し得るに相応しいお答えを孔子様はなさった。
凡知:仏典に御釈迦様と弟子などとの問答があり、御釈迦様の御答えに対しその意味を解することが出来ず、怒ったり、恨んだりする場面がある。真理を伝えることも把握も難しい。
奏江:言葉の重みを感じる。弁舌が巧みというのは軽い感じがする時がある。口は慎むべきである。
公冶長第五 9
子謂子貢曰、女與回也孰愈。對曰、賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。子曰、弗如也。吾與女弗如也。
議論
瑠璃:孔子様が子貢を試して聞いたのでは。
北星:一を聞いて二を知るといっている。自信家だ。
筑波:子貢はプライドが高いと解説書にあった。
朝顔:二を知るのは凄いことでしょうか?
柴里・瑠璃:子貢は、商才があり、教団を経済的に支えていた。
佑弥:「一を聞いて十を知るというのは全体を知る。一を聞いて二を知るというのは次の事を知る。」という解説書があります。
重只:子貢を励ましたのでは。本当に孔子様は、顔回に及ばない所があると思っていたのでは。
北星:ある面においてはそうだったのではないか。顔回は凄かった。言われたらすぐ行なっていた。
佑弥:(見方によっては)夫々に夫々がかなわない点があるのではないだろうか?
凡知:最後の一文「吾與女弗如也」を、この解説本では「吾と女と如かざるなり」と読ませているが、「吾女の如かずとするを與す」と孔子様が子貢の言に同意したと読ませる解説本もある。
凡知:學而第一[十五]「往を告げて來を知る者なり」(子貢は孔子様の言に対し、言っていない事までも察知する者)と孔子様は子貢のことを評している。一方、先進第十一[三]「吾が言に於いて説ばざる所無し」(顔回は孔子様の言に対し、黙識心通して疑う所が無い)と孔子様は顔回のことを評している。これが「一を聞いて二を知る」と「一を聞いて十を知る」の差いであり、子貢と顔回の差であると孔子様は言われている。
筑波:爲政第二[九]にも顔回の人知れずの求道者たるが述べられている。
凡知:仁者に近づきつつある。
奏江:言葉の少ない人だったんですね。
重只:若い方だった。
瑠璃:孔子様より三十歳年下。
重只:孔子様は子貢に何故このような事をきいたのか。真意はどこか。
瑠璃:子貢がどう答えるか、その心を試された。その答えによっては、孔子様の子貢への御言葉が違ってきただろう。ここでは一応謙虚な答えだったので、私も及ばないところがあると、子貢を思いやった。
重只:以前、子貢は器なりと言われていたから、その流れかと思いました。
北星:孔子様は子貢の性質を知っておられた。子貢のためを思って聞いた。
奏江:思い上がっていないか。どのように考えているのか、たしなめようとしていたのでは。
瑠璃:敢えて顔回を出して聞いたことにも意味があると思う。顔回は最も実践行動に優れていた弟子。仁を志す人たち、それも一般の弟子の中でなく、十哲に入るくらい優秀な徳のある弟子の中においては、誰がどう優れているかは孔子様には及ばずとも子貢は知っていたと思う。
奏江:顔回の素晴らしさを分かっている子貢も素晴らしいのではないか。見る目がないとわからない。そういった意味で子貢が顔回の素晴らしさを理解できていたのはすごいと思う。
北星:子貢と顔回は顔を合わせているから分かるのでは。
凡知:ちょっと話をしただけではなかなか分からない。
奏江:本当に顔回が優れているという事を子貢が本当の意味で分かっていたのかは疑問。
佑弥:顔回は、子罕第九[十一]「顔淵、
朝顔:一を聞いて二を知る、という答えに対して、戒めではなく受け入れる方になっている。
以上