東洋哲学研究会

2015.05.31

論語 公冶長第五 10

論語勉強会議事録

2015年5月31日(日)15:30~17:50

開催場所:春秋館

議事内容:本日は、公治長第五〔一〇〕を学びました。

テキスト「論語の講義」諸橋轍次


論語 公冶長第五10

宰予晝寝。子曰、朽木不可雕也。糞土之牆、不可朽也。於予與何誅。子曰、始吾於人也、聽其言而信其行。今吾於人也、聽其言而觀其行。於予與改是。

宰予 さいよ ひる ねたり。子曰く、 朽木 きゅうぼく からず。 糞土 ふんど かき は、 からず。 おい てか なん めん。子曰く、 はじ われ ひと けるや、 げん いて おこない しん じたり。今吾、われ ひと けるや、 げん いて おこない る。 いてか これ あらた めたり。

議論

麦秋:宰予はいつも叱られている。

佑弥:牆は、土塀の事。

瑠璃:単なる昼寝ではなく、女性を連れ込んだもしくは春画を持ち込んでいる等の説もある。

柴里:「寢」は横になる意味に使い、眠る意味では、「 」を使うので、宰予は眠っていたのではなく女性と横になっていたという解釈もある。晝(昼)は畫(画)の漢字に似ているから画ではないか、という解釈もあるという。

冥加:この事によって孔子様が性悪説にかわったということでは?

麦秋:宰予は出来た人だと思うが、その宰予がやってしまったと言うことに意味がある。

瑠璃:昼寝だけで孔子様がここまで憤慨なさるのは不思議なので、諸説ある。当時昼寝の習慣はなく、それ以降にできた。

正志:この年になると、30分でも横になるととても楽になるんです。

冥加:これを機に見方が変わる。

奏江:怠惰性は誰の心にもあるのではないか。

佑弥:集中時と休み時のメリハリは必要と思う。違う意味での昼寝と思われる。

冥加:心が腐っていると言われるだけの昼寝をしてしまった。

奏江:それまでは言葉(言えばやる)と信じていたが、宰予を見て人の見方が変わる。

冥加:信じる所に疑いの心を起こした。孔子様の行動を変えた。インパクトが大きい。

柴里:口ではやっていますと言っていたのかも。

凡知:常習犯。人の言葉は往々にして行ないと違う。教え受ける素地がなければ、責めても仕方がない。見限っていらっしゃる。孟子「 不屑 ふせつ 教誨 きょうかい 」の如し。御釈迦様がいくらやっても救えない人がいるとわかったことと同じ。

北星:十哲であるがゆえに厳しいのか。

瑠璃:最後は役人になるが、 謀反 むほん に加担して一族皆殺しにされてしまう。そのことを孔子様は一生の恥といっていた。

北星:孔子様は宰予のこういったところを心配されていた。

凡知:会社の昼休みにどこかに出かけて行って、遊んできてしまったようなものでは。

奏江:孔子様は宰予を 朽木糞土 きょうぼくふんど に例えられてお叱りになられたが、この二つの例の表現がひどすぎて、宰予の怠惰性があまりにも度を越していたように思われる。

佑弥:郷黨第十〔一六〕に「 ぬるときは せず。」とあるように、孔子様の日常は、寝ている時も、しかばねのようではないとあります。

奏江:學而第一〔一四〕にも、「君子は食に飽くことを求むるなく、居に楽きを求むるなし」とあるように、君子は住まいにあっても心が安らいだりすることを求めず常に仁に達するように、精進するものである、ということから考えると宰予は腐っている。

重只:これは孔子様が宰予に言った言葉か。もしそうなら、改めさせるために言ったのでは?厳しい事を言わなければ気づけないと思われた。孔子様は指導を通して、前々から人間は言っただけでは実行できないと思われていて、宰予の昼寝がきっかけになったのでは。

瑠璃:門人の言葉を信じることも礼なのではないか。

冥加:ベースは信じているが、お前のせいで信じられないようになったと重ねて叱責する意味では。

凡知:信じているとはどういうことか?

北星:聖人は、相手を信じるとか信じないという以前に、言葉そのままに受け取るように思う。孔子様もそうであったのではないか。

麦秋:宰予と子貢は 弁舌 べんぜつ の才あり。

筑波: 佞者 ねいしゃ とはまた違うのか?

瑠璃:宰予は十哲に入っている。日に三省する曾子は入っていない。弁才があったということは、実務者として役に立った。大夫にまでなった。口が上手かったから、役人になれたのかもしれない。現実では使える人。でも、その根っこは腐っていた。孔子様の門人となったのは、仕官を得たいという欲があったのではないか。

柴里:先進第十一〔二〕の解説に「子曰く、我に陳・蔡に従へる者は、 みな もん に及ばずと。徳行には、顔淵・ 閔子騫 びんしけん 冉伯牛 ぜんはくぎゅう 仲弓 ちゅうきゅう 。言語には宰我・子貢。政事には冉有・ 季路 きろ 。文学には子游・子夏。 」と、十哲の説明、陳蔡に従った人々とある。

佑弥:十哲は、孔子様が決められたのではなく、後の人が残された文から考えたのではないか?十だとゴロが良いし、優れていても名前が載っていない人もいる。

麦秋:先進第十一〔二〕で宰我は言語と言われている。それに子貢より先に名が挙がっているので子貢より上の評価?

奏江:宰予を通して、如何に弁舌の才があったとしても、その弁、発言というものが誠の思いから出てきたものでなければ、仁に近づくことなど不可能である、ということをおっしゃりたいがために引き合いに出しているのでは。

凡知:現実問題として、世の中を渡っていくには必要では。

奏江:反面教師としての意味はある。弁が立つ事のおそろしさが分かる。

冥加:みんなが宰予を素晴らしいと思うから、ダメだと言われたのが良かった。一般の人たちの体たらくも表していたのでは。

麦秋:八佾第三〔二一〕でも哀公に対してつまらぬ説明をして諌められている。

凡知:修行者としては失格。ある程度自分の好きな事をしてある程度器があったから。

冥加:宰予は仁者になることを求めていたのか?

凡知:求めていない。自分では求めていないが、奥にあるものが求めていた。時機が来れば伸びる可能性はある。

冥加:おまえなどクソだと言われている。

凡知:そう言われていたとしても、孔子様に対して反抗したりはしなかった。

麦秋:陽貨第十七〔二一〕でも三年の喪は長いと言って孔子様から宰予はまことに不仁な者だと言われており、論語の中でも宰予のいいところが書かれている箇所はひとつもない。

正志:私も三年間喪に服すという話は分かりません。三年間喪に服すと言うことの背景であろう悲しみが、私はそんなに続いていないんです。

佑弥:理屈ではない。

北星:喪に服すとはどのようなものか?心が伴なっていなくても孔子様のいわれる儀礼を行っていれば喪に服したといえるのか?

冥加:行為ではない。

柴里:人間は弱いから、忘れない様に礼として整えて行なうのではないか。

正志:未だ父や母の写真は飾ってあり、話しかけたりお礼を言ったりします。でも、悲しみではない。

柴里:感謝の心があればそれは喪に服していることになるのでは。

凡知:仏壇などに拝し、亡き父母の思いを心に留め生活すればいいのではないか。

奏江:師が三年やりなさいとおっしゃっているのだから、その時点で意味がわからなくとも御言葉を実践していくことでわかっていくこともある。

瑠璃:慎みなさいということ。

以上