東洋哲学研究会
2015.05.10
論語 公冶長第五 4
論語勉強会議事録
2015年5月10日(日)14:00-16:45
開催場所:春秋館
議事内容:本日は、公冶長第五〔四〕を学びました。
テキスト「論語の講義」諸橋轍次
論語 公冶長第五4
子貢問曰、賜也何如。子曰、女器也。曰、何器也。曰、瑚璉也。
子貢問いて曰く、
議論
北星: 子貢のレベルに合わせて「汝は器なり」とお答えになったという事?
佑弥: そう。本人がわかるように。
冥加: 子貢が自分自身は瑚璉だと思っていたという話?
佑弥: そうではない。特別な時に特別な形で用いられることが良いと子貢が考えている。そのような価値観から抜け出していないと伝えようとしたのでは?その意識を持っていない方には別の事を言われたと思う。
麦秋: 器のなかでは最高峰と表したかったのでは?
佑弥: その思考、意識そのものが子貢。既存の価値観、社会的地位などに
北星: 器であるという意味は、ある面においては有能であるということか?
重只: 孔子様が以前「君子は器ならず」と言われているので、つまり君子ではないと言っているのでは。
凡知: 君子は器(有能な家臣)を蔵し、時期を見て行動できる者。つまり、器を使いこなせる者のことではないでしょうか。
瑠璃: 子貢は弁が立ち優れている。特別な祭事には欠かせない有能な存在だが、日常において君子に至らない器としての存在。ただ、切磋琢磨を言った人。孔子様は共に詩を語り合えると喜ばれた。切磋琢磨するための素直な問いかけかもしれない。
麦秋: 評価されたかった、どうでしょうかと聞きたかった。
奏江: 修行していれば、日々至らないところが気になる。真摯に師に問うたのではないか。
佑弥: 「汝は器なり」と言われたときに「何の器か?」と聞いている。「何故、器でしょう」と聞かず、またはそこで考えず、「どういう器か」と聞いている所に、子貢の意識が表れていると思う。孔子様の言われた意味がわかっていない。
筑波: 子貢は外交官としては極めて勝れ、才気に走り過ぎるようなことを読んだ。
凡知: 雍也第六〔六〕に「曰く、
冥加: 子貢は完全な人格ではないから、特別な時にしか使用できないものと思われている。
瑠璃: 特別な時に機能する高貴な器。有能だが万能ではない。器の種類を聞くこと自体に、君子ならずと思えてしまう。
北星: 「瑚璉なり」とは単純に優れているという意味ではないか。
凡知: 公務員で言えば業務執行能力が高い。
佑弥: 井の中の蛙で、こだわっている。瑚璉とは特別な時にしか用いられず、庶民の為に使いやすさとしての器とは違う。孔子様は「特別」というのではなく忠恕を大切にされた。
正志: 器を超えるとどうなるのか?
奏江: 學而第一[一五]で「子貢曰く、貧しくして
佑弥: まだまだ意識してそうなっている、だから器なのでは。
麦秋: 何でも聞いていた人。弁が立ち、何でも尋ねる。自分を律しようとしている。
冥加: 融通無碍であれば器におさまらない。判断せずに矩を越えずになる。
重只: 器という事は凡夫ということでしょうか?
冥加: 顔回はどうか、器か。
麦秋: 顔回は子貢より1歳年長。よき競争相手であったのではないか。
瑠璃: こういった質問をするのは自分が良く判っていないからではないか、軽い印象がある。客観性に欠けるように感じる。顔回ならこの質問しないのではないかと思う。
麦秋: 顔回は孔子様の御教えにほとんど反問しない。子貢は何でも積極的に質問。顔回は
麦秋: 器の意味。食器としての器と度量、人物という意味がある。この場合は度量ではないか。
瑠璃: ここは感性で理解したい。文字や言葉だけではなく、意味するところはもっと深いと思う。
凡知: 柴里さんからのコメント『
朝顔: 為政第二〔一二〕「君子は器ならず」という意味の器はそれ以上の意味があるのか。
茶色: 美しい器だが、そこが限界だという師の言葉に思えた。諸橋轍次氏の解説にある(子貢が)いささか不満に思ったというのは無いのではないか。
冥加: 論語は話された流れ、前後関係が分からないため、この単文だけでは知り得ない。
奏江: 自分の事を器と聞いたときに「ああ、そうか」と思ったのではないか。
佑弥: 「何の器でしょうか」と聞いたところが、孔子様の意図する所を理解されていないと思う。視野が狭くなっている。
北星: 形から入って最後は形は無くなる。現実的な修行の道がそれではないか。
筑波: 器は現実世界では逃れられないもの。
重只: 器がないという事はありえるのか?
凡知: 器がないという意味ではなく、器ではないということで器にとらわれることがなく、はずしたり超える事ができるという意味。
佑弥: 限界、拘りをはずしてゆく。
冥加: 器は限りあるものの象徴。
筑波: 子貢は器だったから優秀だった。
佑弥: 心の方向に意識が行かない人だったのではないか、より目に見えた現象に意識が行っていた。
冥加: 子貢は、巧みに限界を操れる人だった。何をどこまでやればいいのか、形ある人の営みの境界、限界を知って動かした。
佑弥: 推し量れないグレーの部分があり、そこを感じとることがなかったのでは?グレーというのは、あやふやとか、良い悪いの中間というのではなく、時代時代によって価値観が違うというのもあるが、良い悪いという価値とは違う所にある。様々な我々の推し量れない例えば良いものと悪いものが一緒に内在しているような、どちらにも意識により転じてゆくかもしれない、推し量れないもの。(理屈になってしまい違う。上手く言えない。)
瑠璃: 明治書院の『論語』には「器才に溺れていた」とある。これが人物像として近いかもしれない。
冥加: 才能に溺れるのは横に広がるが上に向かわない。
佑弥: やはり何の器ですかと聞いたところがわかっていない。しかし、子貢なりに自分を知る為に聞いたのかも。
奏江: 器といわれてショックだが、開き直って聞いた可能性もある。
茶色: より細かく評価を聞いたのではないか。
重只: 器がなくなれば商才は無くなるのか?
冥加: 君子として儒教の戒律の縛りは増してしまうのでは。戒は慎ましやかを善しとする。
重只: 器を離れた世界に至ればどうなるのか?器の中にいるときはガンガン先に進めたのではないか。それこそ目的のため、孔子様の団体を守るため、賄賂を使ったり、お金を荒稼ぎしたり。もし器から離れたら、それが出来にくくなるのでは?
以上