維摩會で学べること

仏教哲学の講義では、仏教教義の基本概念を学びます。さらには『論語』をはじめとする古典の研究、荒行といった心身の鍛錬を通じ、会員同士が互いに切磋琢磨して、人格の向上を目指しています。

仏教哲学 講義

仏教は2500年前、釈尊が菩提樹の下で悟りを開かれたことから始まりました。本会の仏教哲学講義では、その根本教説から原始仏教、大乗仏教まで、仏教哲学の基礎を学びます。

仏教哲学講義

仏教哲学 1 『十二因縁①』

仏教哲学 2 『十二因縁②』

仏教哲学 3 『四法印』

仏教哲学 4 『諸法実相』

仏教哲学 5 『四無量心』

仏教哲学 6 『随眠無明と随煩悩』

仏教哲学 7 『三界六道と涅槃の構造』

仏教哲学 8 『十界を読み解く―自己の境地の更なる分析』

仏教哲学 9 『凡位と聖位』

仏教哲学10 『凡位から聖位へ』

仏教哲学11 『五蘊と七十五法』

仏教哲学12 『刹那滅と空』

仏教哲学13 『「空」を分析する〈1〉』

仏教哲学14 『「空」を分析する〈2〉』

仏教哲学15 『空観における慈悲の構造について』

仏教哲学16 『三世実有法体恒有』

仏教哲学17 『唯識論 講義』

仏教哲学18 『唯識三十頌〈1〉

仏教哲学19 『唯識三十頌〈2〉

仏教哲学20 『唯識三十頌〈3〉

仏教哲学21 『大乗起信論』

ほか予定

仏教哲学 御講義

仏教の根本教説

十二因縁 じゅうにいんねん

釈尊は、悟りを開かれ 成道 じょうどう された後、人生の苦しみが何によって生じるのか、その縁起の ことわり について 思惟 しゆい されました。

「生」があるから、「老死」の苦しみが生じます。ではなぜ「生」があるのか、その根本原因は「 無明 むみょう 」すなわち無知にあると観じられました。

無明によって、 ぎょう =潜在的形成力が生じ、行によって、 しき =識別作用が生じ、識によって、 名色 みょうしき =心と肉体が生じ、名色によって、 六処 ろくしょ =五官の感覚とその認識が生じ、六処によって、 そく =対象との接触が生じ、触によって、 じゅ =苦楽などの感情が生じ、受によって、 あい =ものごとに対する愛着・渇愛が生じ、愛によって、 しゅ =執着が生じ、取によって、 =自己中心の心がもたらす差別・区別する心が生じ、有によって、 しょう =誕生が生じ、生によって、 老死 ろうし があり、憂い、悲しみ、悩みなどもろもろの苦しみが生じます。

そのため、無明が滅べば、行がなくなり、行が滅べば、識がなくなり、識が滅べば、名色がなくなり、名色が滅べば六処がなくなり、六処が滅べば、触がなくなり、触が滅べば、受がなくなり、受が滅べば、愛がなくなり、愛が滅べば、取がなくなり、取が滅べば、有がなくなり、有が滅べば、生がなくなり、生が滅べば、 老死 ろうし がなくなり、憂い、悲しみ、悩みなどもろもろの苦しみがなくなると説かれました。

三法印 さんぼういん  

三法印とは、仏教の基本的な教えを示すもので、「 諸行無常 しょぎょうむじょう 」「 諸法無我 しょほうむが 」「 涅槃寂静 ねはんじゃくじょう 」をいいます。

釈尊はすべては無常であり、一切が苦であると観じ、修行の道に入り、悟を得られました。

釈尊は「あらゆるものが常に生滅・変化し、永久不変なものではないこと(諸行無常)」を説かれました。私たちが求めている喜びも楽も、避けたいと思っている苦しみも苦も、永続するものではないことを意味します。諸行無常を明らかな智慧をもって観るとき、ひとは苦しみから遠ざかり離れる、これこそ人が清らかになる道である、そう説かれています。

釈尊は「すべてのものは因縁によって生じたものであって、我(不変の実体)ではないこと(諸法無我)」を説かれました。喜びは苦しみの因となり、楽は苦の因となり、苦しみが喜びの因ともなり、苦は楽の因ともなります。私たちが求めているものは因縁によって生じ、転変するものに過ぎません。諸法無我を明らかな智慧をもって観るとき、ひとは苦しみから遠ざかり離れる、これこそ人が清らかになる道である、そう説かれています。

釈尊は、 諸行無常 しょぎょうむじょう 諸法無我 しょほうむが を観じ、煩悩の炎が吹き消されて滅尽した状態(涅槃・ニルヴァーナ)こそが、安らぎの境地( 寂静 じゃくじょう )であることを説かれました。本会は日常の生活を通して、この境地を目指して日々修行していこうとするものです。

三毒 さんどく  

特段に人を陥れる三つの巨大煩悩のこと。 とん じん を三毒と呼びます。

貪欲 とんよく むさぼ 卑しいこと。財・物や異性や食べ物、また権力や名誉など自分の欲する物に執着し、度を超すこと。

瞋恚 しんに 自分の意に背くことがあればすぐ怒り、また自分の嫌いな事に腹を立てること。イライラしていること。

愚癡 ぐち 無智なこと。物事の本質・理に暗く、道理を わきま えない自己中心的なこと。偏見に陥り他を受け入れない。

六根本煩悩 ろくこんぽんぼんのう  

とん じん の三毒に まん 悪見 あっけん を加えて根本の六根本煩悩と呼びます。

まん 我が身をたのみて人や物や真理を侮ったり、傲り高ぶること。見下すこと。

疑う心。何事に対しても心が定まらず、人や物事に対し、とかく疑い深い。素直でない。

悪見 あっけん 誤った見解。間違いを強く信じて従わず、我を張る。

六波羅蜜 ろくはらみつ  

大乗菩薩の六種の実践修行を六波羅蜜と呼びます。

布施 ふせ 財施(財物を施すこと)、法施(仏法を人に説くこと)、無畏施(命を懸け、体をはって、人々を仏道へ導くこと)。

持戒 じかい 身を慎むために定められた戒律を守り通すこと。

忍辱 にんにく どんな苦しみをも忍び、どんなに辱められてもそれに耐えること。

精進 しょうじん 正しい修行を絶える事なく継続努力すること。

禅定 ぜんじょう 妄想や雑念から起こる心の動揺を去って、心を一所に定め集中すること。

智慧 ちえ 仏様の悟りの智慧。最も奥深い処。

四無量心 しむりょうしん  

四つの広大な心、はかり知れないほどの利他の心を四無量心と呼びます。

慈無量心 じむりょうしん 衆生の幸福を願い、楽を与えることが無量(限りがない)であること。

悲無量心 ひむりょうしん 衆生の苦しみを己が苦しみとなし、苦から救済することが無量(限りがない)であること。

喜無量心 きむりょうしん 衆生の喜びを己が喜びとなし、他を ねた まず、己がこととして喜ぶことが無量(限りがない)であること。

捨無量心 しゃむりょうしん 他に対する愛着や怨みなどの差別を捨て、平等に他を利することが無量(限りがない)であること。

八正道 はっしょうどう  

原始仏教で重視された 涅槃 ねはん に至るための実践徳目を八正道と呼びます。

正見 しょうけん あるがままを正しく見る。

正思惟 しょうしゆい 本質に基づき正しく判断する。

正語 しょうご 悪口や邪な言葉を言わず正しい言葉を発する。

正業 しょうごう 殺生・盗み・邪淫などから離れる正しい身体的行為。

正命 しょうみょう 規則正しい生活(睡眠・食事・仕事・運動・勉強)を送る。

正精進 しょうしょうじん 善を増し不善を断つため努力する。勇気をもって邪悪を滅す。

正念 しょうねん 明瞭な心で正しく精神を集中する。四六時中自己を律し油断をしない。

正定 しょうじょう 正しい禅定により智慧を得、深い道理を悟る。

東洋哲学研究会

儒教(四書五経)の勉強会

古来、日本人の祖先は東洋哲学を学ぶことにより、自らを研鑽してきました。東洋古典の中で特に代表的な九つの経典を「四書五経」と呼びます。

「四書」とは『論語』『大学』『中庸』『孟子』

「五経」とは『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』を指します。

四書の中で最古であり、よく知られている書物といえば『論語』です。聖人孔子没後、孔子とその弟子たちの言行を編纂したもので、二十篇で構成されています。儒家の最重要経典とされ、日本に伝来したのは三世紀末であり、『古事記』より四百年前と言われます。以来、『論語』の教えは日本人の精神文化に大きく影響してきました。

かつて中国では「四書五経」は科挙試験に用いられ、古典を学んだ優秀な者が官吏となり、国を治めました。日本では江戸時代に藩学や寺子屋で使われた教科書が「四書五経」でした。江戸時代の後期には下級武士や庶民にまで普及し、君臣・父子・夫婦などの秩序をもたらし、我が国の国民道徳に深く影響を与えた経書です。

維摩會では、有志により『論語』『大学』『中庸』などの勉強会を週に1回程度行い、年末にはその成果の発表を行っています。

湯島聖堂の孔子像

癒やしの気功

心身を目覚めさせる気功を指導しています。リモートにて毎日、朝(6:30~・7:00~)、夜寝る前(22:00~)にオンライン配信。それぞれ20分の癒やしの気功です。ゆったりとゆらゆら気持ちよく、のびやかに、心身の健全に役立ち、とても癒されると好評です。

୨୧‥∵‥‥∵ 皆様のお声から  ∵‥‥∵‥୨୧

  • いつ参加しても幸せな気分になります。 Kさん
  • 本物の温泉よりも気持ちよく温まることができました。 Aさん
  • 気が付いたら全く痛くないのです! すごいです。何か月間も痛かったのがうそのよう。 Sさん
  • 10数年前からのふくらはぎの激痛が無くなりました。 Yさん
  • 清らかな気に包まれ、味わい、その気が細胞の隅々まで行き渡りました。 Oさん
  • 素晴らしい時間でした。 Tさん
癒しの気功

祈り

朝・夕に祈りのひと時を