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<title>生活の中の神道</title>
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<description>生活の中の神道</description>
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<title>神道のお祭りに欠かせない雅楽</title>
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神道と関わりの深い 雅楽 （ ががく ） ですが、西洋音楽の音階に慣れた耳には、不思議な音色に聞こえることもあるでしょう。今回は雅楽について、 宮内庁式部職楽部 （ くないちょうしきぶしょくがくぶ ） 二〇一二年欧州公演（文化庁後援）ホームページや『東儀秀樹氏の雅楽』（岩崎書店）などからご紹介致します。雅楽のうちでも 神楽 （ かぐら ） 歌 （ うた ） として 伝承 （ でんしょう ） している音楽は、神話の昔からありました。




世界でも比類ない雅楽
日本の雅楽は、十世紀（平安時代）に大成した日本の最も古い古典音楽です。①古来からの日本固有の歌舞、②五世紀頃より古代のアジア大陸から伝来した楽器と楽舞（音楽と舞）とが日本化したもの、③その影響を受けて平安時代に新しくできた歌、の総体です。
皇室の 庇護 （ ひご ） があって、古代からほとんど形を変えずに 連綿 （ れんめん ） と続いてきているのです。古くは千五百年も前の音楽もあり、数多くの楽曲が千年あまり変わることなく今日も演奏できるのは、世界でも日本の雅楽しかないと言ってよく、しばしば舞も付いており振付も伝承されているのですから、素晴らしいことです。
元来は「雅楽」という名称は、 儒教 （ じゅきょう ） において、「俗楽」に対して「正統の音楽」を意味した言葉です。中国や朝鮮では、儒教の 祭祀楽 （ さいしがく ） を主とする音楽を雅楽と呼び、日本の雅楽とは違います。



厳島神社（広島県）にて「慶事の舞」奉納




外来音楽の伝来

日本に伝来した最初のものは、朝鮮半島（ 百済 （ くだら ） 、 新羅 （ しらぎ ） 、 高句麗 （ こうくり ） ） 由来 （ ゆらい ） の舞と楽曲「 三韓楽 （ さんかんがく ） 」です。
『日本書紀』に、四五三年に第十九代の 允恭 （ いんぎょう ） 天皇が 崩御 （ ほうぎょ ） された時、 新羅 （ しらぎ ） 王が 楽人 （ がくじん ） 八十人を送って 哀悼 （ あいとう ） の意を表わしたという記述が見られます。
第二十九代の 欽明 （ きんめい ） 天皇十五年（五五四年）二月には、 百済 （ くだら ） から楽人四人が渡来した、第四十代の 天武 （ てんむ ） 天皇十二年（六八三年）正月には、 三韓楽 （ さんかんがく ） の音楽が飛鳥の地で演奏されたとの記録があります。
又、天武天皇は天武四年（六七五年）に、「楽人は子弟に歌唱や楽器の技芸や舞の振付を伝えるように」と 詔 （ みことのり ） を発せられました。この時期から音楽とそれに伴う舞踏を代々専門とする家々が現われてきたと考えられます。
一方、中国大陸の音楽である 唐楽 （ とうがく ） は、七世紀前半から約二百年にわたって行なわれた遣唐使の派遣によって伝えられました。
第三十四代の舒明(きんめい)天皇二年（六三〇年）からです。唐の都・長安が国際都市であったことを反映し、ペルシアやインド起源の楽舞、 林邑楽（ りんゆうが ） （ベトナムの音楽）なども含まれます。
日本における唐楽の演奏の最も古い記録は、大宝二年（七〇一年）正月で『続日本記』に記載されています。

 雅楽寮 （ ががくりょう ） の設置

第四十二代の 文武 （ もんむ ） 天皇が 藤原不比等 （ ふじわらのふひと ） らに 編纂 （ へんさん ） させ、七〇一年に「 大宝律令 （ たいほうりつりょう ） 」を制定されました。この時、朝廷内にそれらの楽舞を公的なものとして管理伝習していく機関として雅楽寮が設置されました。これが今日の宮内庁楽部につながっています。
雅楽寮は事務方をのぞいても総勢四百人以上の大組織でしたが、これは、唐楽、高麗楽、新羅楽など、それぞれ用いられる楽器も 旋律 （ せんりつ ） や調子も異なる曲を 奏 （ そう ） するために専門の奏者が必要だったからだと考えられます。又、現在の宮内庁楽部には女性楽師はいませんが、奈良・平安時代には、女性楽師を司る 内教房 （ ないきょうぼう ） という機関があり、女性も朝廷儀式の奏楽を担当していました。

朝廷と雅楽

これらの音楽の集大成としては、日本史上でも特筆の一大行事、 天平勝宝 （ てんぴょうしょうほう ） 四年（七五二年）の東大寺大仏の 開眼供養会 （ かいがんくようえ ） が挙げられます。
第四十五代・ 聖武 （ しょうむ） 天皇や皇太子（後の 孝謙 （ こうけん ） 天皇）が列席され、五千人の僧侶による 仏教声明 （ しょうみょう ） と、雅楽寮などの楽人達によりアジア中の音楽が丸一日鳴り渡り続け舞も披露されたとのことです。
 聖武 （ しょうむ ） 天皇御遺愛品 （ ごいあいひん ） を妃である 光明皇后 （ こうみょうこうごう ） が寄贈された正倉院には、二十三種、百余点にのぼる楽器が収められていますが、それから推察すると当時の雅楽の楽器は現在よりも多彩であったと考えられます。
十世紀に編纂された朝廷の「 延喜式 （ えんぎしき ） 」（法律である 律令 （ りつりょう ） の 施行細則 （ せこうさいそく ） ）によれば、雅楽は、 節会 （ せちえ ） （平安時代に盛んとなり、元日・ 白馬 （ あおうま ） ・ 踏歌 （ とうか ） ・ 端午 （ たんご ） ・ 豊 （ とよ） の明かりは五節会として重視された）、朝廷の年中行事、仏会、天皇の 御行幸 （ ごぎょうこう ） 、諸祭などにおいて 奏 （ そう ） されていました。

日本文明の豊穣

七九四年に都は奈良から京都へ 遷 （ うつ ） り、やがて八九四年に遣唐使も廃止されます。唐からの文化の移入が無くなり、文学においても建築においても絵画においても、日本独自の美意識の昇華が、平安時代になされていきました。
雅楽においても同様でした。
奈良時代までは朝廷が作った雅楽寮で、国風ほか、唐楽、高麗楽、新羅楽、百済楽などと楽師が分かれていたわけですから、外来の音楽もオリジナルほとんどそのままに演奏されていたでしょう。（後に高麗楽という名称は新羅楽や百済楽も 包含 （ ほうがん ） して使わるようになります。）
時代が経るにつれ、日本語のリズムや間合いと結びついた独特の音感に合うように曲を変えるなど、日本人が新たに雅楽の曲を作るということも行なわれていきました。
このようにして、平安時代に半世紀から一世紀ほどの時間をかけて雅楽の日本化が進んでいきました。日本化され、できあがっていった雅楽が、以後およそ千年、それからはあまり形を変えることもなく、現在まで生き続けてきたのです。
奈良時代までにわが国に伝来した古代のアジア諸地域の音楽は、今は現地に面影を 留 （ とど ） めず、絶えたり、すっかり 変貌 （ へんぼう ） してしまったりして、もはやほとんど残っていません。



日本と中韓とで違う雅楽

韓国にも雅楽という名の音楽がありますが、故 高円宮 （ たかまどのみや ） 殿下は韓国国楽院の雅楽と宮内庁楽部の雅楽を聴き比べて、両者にあまりに共通点が見当たらず驚いたと述べられています。
韓国の雅楽は中国の儒教音楽を取り入れ、それを韓国流に変容させたものと思われます。
韓国と中国では 孔子廟 （ こうしびょう ） で演奏される儒教音楽を雅楽と呼んでいるのです。
日本は、奈良時代まであれほど外来文化の輸入に熱心だったのに、仏教を重んじていたせいか、儒教音楽としての雅楽は 受容 （ じゅよう ） しませんでした。遣唐使の 吉備真備 （ きびのまきび ） が八世紀に儒教音楽も奈良の都に持ち帰ったという説もありますが、定かではありませんし、現在伝わる日本の雅楽にその 痕跡 （ こんせき ） は認められません。
現在の韓国で雅楽と呼ばれている音楽が、中国から韓国に伝わったのは、日本に唐や三韓（朝鮮半島）の音楽が入ってきた時代よりも下るのではないでしょうか。韓国と日本の雅楽が似ていない理由は、そのあたりにあるのでしょう。
ちなみに中国の儒教音楽としての雅楽も、昔のものはきちんとは 伝承 （ でんしょう ） されていません。
（以上、 宮内庁式部 （ くないちょうしきぶしょくがくぶ） 二〇一二年欧州公演ＨＰより）

日本人の心を映した芸術

東儀氏が、子供向けに記した著書『 東儀秀樹（ とうぎひでき ） 氏の雅楽』で雅楽を分かりやすく伝えていますので、抜粋、又は要約してご紹介致します。
源氏物語では主人公の光源氏が雅楽の舞を舞う場面が書かれているし、 枕草紙 （ まくらのそうし ） では 篳篥 （ ひちりき ） が、かしがましい（うるさい、耳ざわり）楽器として書かれていたり、平安時代に雅楽が人々に愛されていたことが分かるとし、
「人間が、今よりずっと自然や宇宙と密接な関係で生活していた時代に、雅楽は僕たち日本人の心を 映 （ うつ ） した芸術として、今残っているような形で完成されていったのだ」
「自然を、身体や心全体で感じとるのと同じように、雅楽を感じてみよう。僕たち日本人には、雅楽が盛んに楽しまれていた時代から受け継がれている、日本人としての心があって、それが、時代が移り変わっても、ちゃんと生き続けている。
日本を囲む海の景色、波の音、桜や菜の花といった春の色、山の緑、冬の雪景色など、数え切れないほどの美しい自然は、その昔から何も変わっていないように、それを愛する日本人の心も同じなのだ。
お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんが、実際に雅楽を聞いたことがなくても、ずっと昔に雅楽を聞いた人が体験した空気のような感じが、気づかないうちにその人たちの身体に染み込んでいて、その空気のような感じだけは、現代の僕たちにも伝わっているのだと思う。ということは、これから先、未来の人にも、雅楽から体験する空気のような感じが、知らず知らずのうちに伝っていくかもしれない」

 三管 （ さんかん ） で宇宙を表わす




笙
笙は、複雑な和音を奏でる楽器で、形は極楽に棲むという伝説の鳥『鳳凰』が翼をたたんで休んでいる姿に例えられる



「雅楽のメロディを奏でる管楽器に、 笙 （ しょう ） 、 篳篥 （ ひちりき ） 、 龍笛 （ りゅうてき ） がある。昔の人達は、これらの音色に自然界の全て、宇宙を感じ取っていた。 笙 （ しょう ） は、複雑な 和音 （ わおん ） を奏でる楽器で、形は 極楽 （ ごくらく ） に 棲 （ す ） むという伝説の鳥『 鳳凰 （ ほうおう ） 』が翼をたたんで休んでいる姿に例えられる。音色は『天から差し込む光』を表わしている。 篳篥 （ ひちりき&#60; ） は、 主旋律 （ しゅせんりつ ） を奏でる 縦笛 （ たてぶえ ） で、音色は『人の声』、広い意味では『地上の音』全てを表わしている。 龍笛 （ りゅうてき ） は、横笛で、音色は天地の間を泳ぐ『龍の鳴き声』、広い意味では『天と地の間の空間』を表わしている。 この三つの楽器を 合奏 （ がっそう ） するということは、天・地・ 空 （ くう ） を合わせることになる。つまり宇宙を表現するというわけだ。僕は雅楽を聞くというよりは、むしろ感じてほしいと思っているが、それはつまり、雅楽が宇宙を表現しているところもあって、空気のように肌から自然に入ってきて、心のどこかに触れて感じたり、身体のどこかで反応したりすることで、雅楽を楽しむことができると考えているからだ。 人間の身体も、小さな小さな一つの宇宙なのだから」 「笙は、パイプオルガンやアコーディオンのルーツとも言われている。 仏教画で天女が手に楽器を持っている姿が描かれているが、その時代の最高の物を持たせて 描 （ えが ） いたのではないかと思う。 篳篥 （ ひちりき） は、シルクロードのどこかの国で生まれた。トルコやアルメニアで今も吹かれているメイやドゥドゥクという楽器に似ている。ヨーロッパに伝わって、現在のオーボエやファゴットに変化している。 音を出すだけでも難しいのだが、音程が不安定で演奏するのがかなり難しい。ところが、これをコントロールできるようになると、独特のゆらぎのある素晴らしい音を奏でることができる魅力的な楽器なのだ。人間がしゃべる時の 抑揚 （ よくよう ） の様な表現が出来る。音域は一オクターブと一、二音。龍笛は、息の強さによって二オクターブの音を出すことが出来る」 「虫除けになるという『 甘州 （ かんしゅう ） 』という曲がある。この曲には虫を食べる鳥の鳴き声が入っていて稲穂につく虫を退治するという。僕には鳥の声は見つけられないが、古い書物に書いてあるので間違いはないだろう。人間の耳には聞こえないが、虫はこの曲に、鳥の鳴き声の波動を感じることができるのではないかと思う」
現代に残る 舞楽 （ ぶがく ） 

雅楽を編成によって分類すると、舞を伴わない楽器演奏だけの管絃、舞を伴う舞楽、歌の入る歌物があります。舞楽には三種類あります。
「① 国風歌舞（ くにぶりのう ） ・・・日本古来の歌や舞で、農民が田植えをしながら豊作を願った歌や、秋の実りに感謝する踊りなど、自然や大地に捧げた素朴な祈りがルーツになっていて皇室の儀式や神社の行事に舞われる。例えば、
『 神楽 （ かぐら ） 歌 （ うた ） 』と『 人長舞 （ にんぢょうまい&#60; ） 』・・・宮中の行事で歌われるもので、神様を迎え、人間・代表の人長が舞う。
『 大歌 （ おおうた ） 』と『 五節舞 （ ごせちのまい ） 』・・・現存するただ一つの 女舞 （ おんなまい ） で五人で舞う。舞姫の 装束 （ しょうぞく ） は、 十二単 （ じゅうにひとえ ） に 檜扇 （ ひおうぎ ） を持つ。
昔は 大嘗祭 （ だいじょうさい ） に、今は天皇の即位の 即位の大礼 （ たいれい ） で舞われる。
② 左方舞 （ さほうまい ） ・・・唐楽で舞う舞楽。
『 蘭陵王 （ らんりょうおう ） 』・・・六世紀の中国、 北 （ ほくせい ） 斉 （ ほくせい ） 時代。とても美しい王様がいたが、兵士は王様の美しさに見とれてしまい戦意が高まらないため、そこで王様は怖い面をつけ、闘いの指揮をとり大勝利をおさめたという。平安時代には、 競馬 （ くらべうま ） 、 弓 （ ゆみ ） くらべ、 相撲 （ すもう ） などの祝賀会などで舞われていた。
② 右方舞 （ うほうまい ） ・・・高麗楽で舞う舞楽。
『 納曾利 （ なそり ） 』・・・龍が楽しげに 戯 （ たわむ ） れる様子を表わした」
（以上、『東儀秀樹氏の雅楽』より）

即位礼と大嘗祭、神宮の式年遷宮に際しても御神楽や秘曲の奉納があり、毎年恒例の新嘗祭や歴代天皇の例祭における神楽歌の演奏などで、日本古来の国風歌舞は大切な祭祀の音楽とされています。
毎年の宮中祭祀では、唐楽が祭祀音楽として演奏されています。
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<h4>世界でも比類ない雅楽</h4>
<p>日本の雅楽は、十世紀（平安時代）に大成した日本の最も古い古典音楽です。①古来からの日本固有の歌舞、②五世紀頃より古代のアジア大陸から伝来した楽器と楽舞（音楽と舞）とが日本化したもの、③その影響を受けて平安時代に新しくできた歌、の総体です。</p>
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<p>第四十五代・<ruby> <rb>聖武</rb> <rp>（</rp> <rt>しょうむ</rt>） </ruby> 天皇や皇太子（後の<ruby> <rb>孝謙</rb> <rp>（</rp> <rt>こうけん</rt> <rp>）</rp> </ruby>天皇）が列席され、五千人の僧侶による<ruby> <rb>仏教声明</rb> <rp>（</rp> <rt>しょうみょう</rt> <rp>）</rp> </ruby>と、雅楽寮などの楽人達によりアジア中の音楽が丸一日鳴り渡り続け舞も披露されたとのことです。</p>
<p><ruby> <rb>聖武</rb> <rp>（</rp> <rt>しょうむ</rt> <rp>）</rp> </ruby><ruby> <rb>天皇御遺愛品</rb> <rp>（</rp> <rt>ごいあいひん</rt> <rp>）</rp> </ruby>を妃である<ruby> <rb>光明皇后</rb> <rp>（</rp> <rt>こうみょうこうごう</rt> <rp>）</rp> </ruby>が寄贈された正倉院には、二十三種、百余点にのぼる楽器が収められていますが、それから推察すると当時の雅楽の楽器は現在よりも多彩であったと考えられます。</p>
<p>十世紀に編纂された朝廷の「<ruby> <rb>延喜式</rb> <rp>（</rp> <rt>えんぎしき</rt> <rp>）</rp> </ruby>」（法律である<ruby> <rb>律令</rb> <rp>（</rp> <rt>りつりょう</rt> <rp>）</rp> </ruby>の<ruby> <rb>施行細則</rb> <rp>（</rp> <rt>せこうさいそく</rt> <rp>）</rp> </ruby>）によれば、雅楽は、<ruby> <rb>節会</rb> <rp>（</rp> <rt>せちえ</rt> <rp>）</rp> </ruby>（平安時代に盛んとなり、元日・<ruby> <rb>白馬</rb> <rp>（</rp> <rt>あおうま</rt> <rp>）</rp> </ruby>・<ruby> <rb>踏歌</rb> <rp>（</rp> <rt>とうか</rt> <rp>）</rp> </ruby>・<ruby> <rb>端午</rb> <rp>（</rp> <rt>たんご</rt> <rp>）</rp> </ruby>・<ruby> <rb>豊</rb> <rp>（</rp> <rt>とよ</rt>） </ruby> の明かりは五節会として重視された）、朝廷の年中行事、仏会、天皇の<ruby> <rb>御行幸</rb> <rp>（</rp> <rt>ごぎょうこう</rt> <rp>）</rp> </ruby>、諸祭などにおいて<ruby> <rb>奏</rb> <rp>（</rp> <rt>そう</rt> <rp>）</rp> </ruby>されていました。<!-- // .parts_text_type01 --></p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165493798958365000" id="cms-editor-textarea-sin165493798958375800">日本文明の豊穣</h3>
<div class="cms-content-parts-sin165493799895493600" id="cms-editor-minieditor-sin165493799895500200">
<p><!-- .parts_text_type01 -->七九四年に都は奈良から京都へ<ruby> <rb>遷</rb> <rp>（</rp> <rt>うつ</rt> <rp>）</rp> </ruby>り、やがて八九四年に遣唐使も廃止されます。唐からの文化の移入が無くなり、文学においても建築においても絵画においても、日本独自の美意識の昇華が、平安時代になされていきました。<br />
雅楽においても同様でした。</p>
<p>奈良時代までは朝廷が作った雅楽寮で、国風ほか、唐楽、高麗楽、新羅楽、百済楽などと楽師が分かれていたわけですから、外来の音楽もオリジナルほとんどそのままに演奏されていたでしょう。（後に高麗楽という名称は新羅楽や百済楽も<ruby> <rb>包含</rb> <rp>（</rp> <rt>ほうがん</rt> <rp>）</rp> </ruby> して使わるようになります。）<br />
時代が経るにつれ、日本語のリズムや間合いと結びついた独特の音感に合うように曲を変えるなど、日本人が新たに雅楽の曲を作るということも行なわれていきました。</p>
<p>このようにして、平安時代に半世紀から一世紀ほどの時間をかけて雅楽の日本化が進んでいきました。日本化され、できあがっていった雅楽が、以後およそ千年、それからはあまり形を変えることもなく、現在まで生き続けてきたのです。</p>
<p>奈良時代までにわが国に伝来した古代のアジア諸地域の音楽は、今は現地に面影を<ruby> <rb>留</rb> <rp>（</rp> <rt>とど</rt> <rp>）</rp> </ruby>めず、絶えたり、すっかり<ruby> <rb>変貌</rb> <rp>（</rp> <rt>へんぼう</rt> <rp>）</rp> </ruby>してしまったりして、もはやほとんど残っていません。<br />
<br />
<!-- // .parts_text_type01 --></p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165493803214561600" id="cms-editor-textarea-sin165493803214565700">日本と中韓とで違う雅楽</h3>
<div class="cms-content-parts-sin165493803922372300" id="cms-editor-minieditor-sin165493803922376500">
<p><!-- .parts_text_type01 -->韓国にも雅楽という名の音楽がありますが、故<ruby> <rb>高円宮</rb> <rp>（</rp> <rt>たかまどのみや</rt> <rp>）</rp> </ruby>殿下は韓国国楽院の雅楽と宮内庁楽部の雅楽を聴き比べて、両者にあまりに共通点が見当たらず驚いたと述べられています。</p>
<p>韓国の雅楽は中国の儒教音楽を取り入れ、それを韓国流に変容させたものと思われます。<br />
韓国と中国では<ruby> <rb>孔子廟</rb> <rp>（</rp> <rt>こうしびょう</rt> <rp>）</rp> </ruby>で演奏される儒教音楽を雅楽と呼んでいるのです。</p>
<p>日本は、奈良時代まであれほど外来文化の輸入に熱心だったのに、仏教を重んじていたせいか、儒教音楽としての雅楽は<ruby> <rb>受容</rb> <rp>（</rp> <rt>じゅよう</rt> <rp>）</rp> </ruby>しませんでした。遣唐使の<ruby> <rb>吉備真備</rb> <rp>（</rp> <rt>きびのまきび</rt> <rp>）</rp> </ruby>が八世紀に儒教音楽も奈良の都に持ち帰ったという説もありますが、定かではありませんし、現在伝わる日本の雅楽にその<ruby> <rb>痕跡</rb> <rp>（</rp> <rt>こんせき</rt> <rp>）</rp> </ruby>は認められません。</p>
<p>現在の韓国で雅楽と呼ばれている音楽が、中国から韓国に伝わったのは、日本に唐や三韓（朝鮮半島）の音楽が入ってきた時代よりも下るのではないでしょうか。韓国と日本の雅楽が似ていない理由は、そのあたりにあるのでしょう。</p>
<p>ちなみに中国の儒教音楽としての雅楽も、昔のものはきちんとは<ruby> <rb>伝承</rb> <rp>（</rp> <rt>でんしょう</rt> <rp>）</rp> </ruby>されていません。<br />
（以上、<ruby> <rb>宮内庁式部 </rb><rp>（</rp> <rt>くないちょうしきぶしょくがくぶ</rt><rp>）</rp> </ruby> 二〇一二年欧州公演ＨＰより）<!-- // .parts_text_type01 --></p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165493807746950500" id="cms-editor-textarea-sin165493807746954300">日本人の心を映した芸術</h3>
<div class="cms-content-parts-sin165493809083087500" id="cms-editor-minieditor-sin165493809083091700">
<p><!-- .parts_text_type01 -->東儀氏が、子供向けに記した著書『<ruby> <rb>東儀秀樹（ </rb><rt>とうぎひでき </rt><rp>）</rp> </ruby> 氏の雅楽』で雅楽を分かりやすく伝えていますので、抜粋、又は要約してご紹介致します。</p>
<p>源氏物語では主人公の光源氏が雅楽の舞を舞う場面が書かれているし、<ruby> <rb>枕草紙</rb> <rp>（</rp> <rt>まくらのそうし</rt> <rp>）</rp> </ruby>では<ruby> <rb>篳篥</rb> <rp>（</rp> <rt>ひちりき</rt> <rp>）</rp> </ruby>が、かしがましい（うるさい、耳ざわり）楽器として書かれていたり、平安時代に雅楽が人々に愛されていたことが分かるとし、<br />
「人間が、今よりずっと自然や宇宙と密接な関係で生活していた時代に、雅楽は僕たち日本人の心を<ruby> <rb>映</rb> <rp>（</rp> <rt>うつ</rt> <rp>）</rp> </ruby>した芸術として、今残っているような形で完成されていったのだ」</p>
<p>「自然を、身体や心全体で感じとるのと同じように、雅楽を感じてみよう。僕たち日本人には、雅楽が盛んに楽しまれていた時代から受け継がれている、日本人としての心があって、それが、時代が移り変わっても、ちゃんと生き続けている。</p>
<p>日本を囲む海の景色、波の音、桜や菜の花といった春の色、山の緑、冬の雪景色など、数え切れないほどの美しい自然は、その昔から何も変わっていないように、それを愛する日本人の心も同じなのだ。</p>
<p>お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんが、実際に雅楽を聞いたことがなくても、ずっと昔に雅楽を聞いた人が体験した空気のような感じが、気づかないうちにその人たちの身体に染み込んでいて、その空気のような感じだけは、現代の僕たちにも伝わっているのだと思う。ということは、これから先、未来の人にも、雅楽から体験する空気のような感じが、知らず知らずのうちに伝っていくかもしれない」<!-- // .parts_text_type01 --></p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165493814951641700" id="cms-editor-textarea-sin165493814951646600"><ruby> <rb>三管</rb> <rp>（</rp> <rt>さんかん</rt> <rp>）</rp> </ruby>で宇宙を表わす</h3>
<div class="cms-content-parts-sin165493821310764100" col-flex="1-2" data-selectable="cparts-animate cparts-animate--slideInUp:上へスライド,cparts-animate cparts-animate--slideInDown:下へスライド,cparts-animate cparts-animate--slideInLeft:左へスライド,cparts-animate cparts-animate--slideInRight:右へスライド">
<div class="box clearfix lay-row">
<div class="parts_img_type03_box left lay-col12-xs-12  lay-col12-md-6 lay-col12-lg-6"><img alt="笙" class="cms-easy-edit" id="cms-editor-image-sin165493821310768500" src="https://yuimakai.org/images/philosophy/topics/sho.jpg" width="330" /></div>
<div class="parts_img_type03_box right lay-col12-xs-12  lay-col12-md-6 lay-col12-lg-6 cms-easy-edit" id="cms-editor-minieditor-sin165493821310769000">
<p>笙</p>
<p>笙は、複雑な和音を奏でる楽器で、形は極楽に棲むという伝説の鳥『鳳凰』が翼をたたんで休んでいる姿に例えられる</p>
</div>
</div>
</div>
<div class="cms-content-parts-sin165493827757862100" id="cms-editor-minieditor-sin165493827757908400"><p><!-- .parts_text_type01 -->「雅楽のメロディを奏でる管楽器に、<ruby> <rb>笙</rb> <rp>（</rp> <rt>しょう</rt> <rp>）</rp> </ruby>、<ruby> <rb>篳篥</rb> <rp>（</rp> <rt>ひちりき </rt><rp>）</rp> </ruby> 、<ruby> <rb>龍笛</rb> <rp>（</rp> <rt>りゅうてき</rt> <rp>）</rp> </ruby>がある。昔の人達は、これらの音色に自然界の全て、宇宙を感じ取っていた。</p> <p><ruby> <rb>笙</rb> <rp>（</rp> <rt>しょう</rt> <rp>）</rp> </ruby>は、複雑な<ruby> <rb>和音</rb> <rp>（</rp> <rt>わおん</rt> <rp>）</rp> </ruby>を奏でる楽器で、形は<ruby> <rb>極楽</rb> <rp>（</rp> <rt>ごくらく</rt> <rp>）</rp> </ruby>に<ruby> <rb>棲</rb> <rp>（</rp> <rt>す</rt> <rp>）</rp> </ruby>むという伝説の鳥『<ruby> <rb>鳳凰</rb> <rp>（</rp> <rt>ほうおう</rt> <rp>）</rp> </ruby>』が翼をたたんで休んでいる姿に例えられる。音色は『天から差し込む光』を表わしている。</p> <p><ruby> <rb>篳篥</rb> <rp>（</rp> <rt>ひちりき&#60; </rt><rp>）</rp> </ruby>は、<ruby> <rb>主旋律</rb> <rp>（</rp> <rt>しゅせんりつ</rt> <rp>）</rp> </ruby>を奏でる<ruby> <rb>縦笛</rb> <rp>（</rp> <rt>たてぶえ</rt> <rp>）</rp> </ruby>で、音色は『人の声』、広い意味では『地上の音』全てを表わしている。<br /> <ruby> <rb>龍笛</rb> <rp>（</rp> <rt>りゅうてき</rt> <rp>）</rp> </ruby>は、横笛で、音色は天地の間を泳ぐ『龍の鳴き声』、広い意味では『天と地の間の空間』を表わしている。</p> <p>この三つの楽器を<ruby> <rb>合奏</rb> <rp>（</rp> <rt>がっそう</rt> <rp>）</rp> </ruby>するということは、天・地・<ruby> <rb>空</rb> <rp>（</rp> <rt>くう</rt> <rp>）</rp> </ruby>を合わせることになる。つまり宇宙を表現するというわけだ。僕は雅楽を聞くというよりは、むしろ感じてほしいと思っているが、それはつまり、雅楽が宇宙を表現しているところもあって、空気のように肌から自然に入ってきて、心のどこかに触れて感じたり、身体のどこかで反応したりすることで、雅楽を楽しむことができると考えているからだ。<br /> 人間の身体も、小さな小さな一つの宇宙なのだから」</p> <p>「笙は、パイプオルガンやアコーディオンのルーツとも言われている。<br /> 仏教画で天女が手に楽器を持っている姿が描かれているが、その時代の最高の物を持たせて<ruby> <rb>描</rb> <rp>（</rp> <rt>えが</rt> <rp>）</rp> </ruby>いたのではないかと思う。<br /> <ruby> <rb>篳篥</rb> <rp>（</rp> <rt>ひちりき</rt><rp>）</rp> </ruby>は、シルクロードのどこかの国で生まれた。トルコやアルメニアで今も吹かれているメイやドゥドゥクという楽器に似ている。ヨーロッパに伝わって、現在のオーボエやファゴットに変化している。</p> <p>音を出すだけでも難しいのだが、音程が不安定で演奏するのがかなり難しい。ところが、これをコントロールできるようになると、独特のゆらぎのある素晴らしい音を奏でることができる魅力的な楽器なのだ。人間がしゃべる時の<ruby> <rb>抑揚</rb> <rp>（</rp> <rt>よくよう</rt> <rp>）</rp> </ruby>の様な表現が出来る。音域は一オクターブと一、二音。龍笛は、息の強さによって二オクターブの音を出すことが出来る」</p> <p>「虫除けになるという『<ruby> <rb>甘州</rb> <rp>（</rp> <rt>かんしゅう</rt> <rp>）</rp> </ruby>』という曲がある。この曲には虫を食べる鳥の鳴き声が入っていて稲穂につく虫を退治するという。僕には鳥の声は見つけられないが、古い書物に書いてあるので間違いはないだろう。人間の耳には聞こえないが、虫はこの曲に、鳥の鳴き声の波動を感じることができるのではないかと思う」<!-- // .parts_text_type01 --></p></div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165493834496410100" id="cms-editor-textarea-sin165493834496414500">現代に残る<ruby> <rb>舞楽</rb> <rp>（</rp> <rt>ぶがく</rt> <rp>）</rp> </ruby></h3>
<div class="cms-content-parts-sin165493836690250000" id="cms-editor-minieditor-sin165493836690252400">
<p><!-- .parts_text_type01 -->雅楽を編成によって分類すると、舞を伴わない楽器演奏だけの管絃、舞を伴う舞楽、歌の入る歌物があります。舞楽には三種類あります。</p>
<p>「①<ruby> <rb>国風歌舞</rb>（ <rt>くにぶりのう </rt><rp>）</rp> </ruby>・・・日本古来の歌や舞で、農民が田植えをしながら豊作を願った歌や、秋の実りに感謝する踊りなど、自然や大地に捧げた素朴な祈りがルーツになっていて皇室の儀式や神社の行事に舞われる。例えば、<br />
『<ruby> <rb>神楽</rb> <rp>（</rp> <rt>かぐら</rt> <rp>）</rp> </ruby><ruby> <rb>歌</rb> <rp>（</rp> <rt>うた</rt> <rp>）</rp> </ruby>』と『<ruby> <rb>人長舞</rb> <rp>（</rp> <rt>にんぢょうまい&#60; </rt><rp>）</rp> </ruby> 』・・・宮中の行事で歌われるもので、神様を迎え、人間・代表の人長が舞う。<br />
『<ruby> <rb>大歌</rb> <rp>（</rp> <rt>おおうた</rt> <rp>）</rp> </ruby>』と『<ruby> <rb>五節舞</rb> <rp>（</rp> <rt>ごせちのまい</rt> <rp>）</rp> </ruby>』・・・現存するただ一つの<ruby> <rb>女舞</rb> <rp>（</rp> <rt>おんなまい</rt> <rp>）</rp> </ruby>で五人で舞う。舞姫の<ruby> <rb>装束</rb> <rp>（</rp> <rt>しょうぞく</rt> <rp>）</rp> </ruby>は、<ruby> <rb>十二単</rb> <rp>（</rp> <rt>じゅうにひとえ</rt> <rp>）</rp> </ruby>に<ruby> <rb>檜扇</rb> <rp>（</rp> <rt>ひおうぎ</rt> <rp>）</rp> </ruby>を持つ。<br />
昔は<ruby> <rb>大嘗祭</rb> <rp>（</rp> <rt>だいじょうさい</rt> <rp>）</rp> </ruby>に、今は天皇の即位の<ruby> <rb>即位の大礼</rb> <rp>（</rp> <rt>たいれい</rt> <rp>）</rp> </ruby>で舞われる。</p>
<p>②<ruby> <rb>左方舞</rb> <rp>（</rp> <rt>さほうまい</rt> <rp>）</rp> </ruby>・・・唐楽で舞う舞楽。<br />
『<ruby> <rb>蘭陵王</rb> <rp>（</rp> <rt>らんりょうおう</rt> <rp>）</rp> </ruby>』・・・六世紀の中国、<ruby> <rb>北</rb> <rp>（</rp> <rt>ほくせい</rt> <rp>）</rp> </ruby> <ruby> <rb>斉</rb> <rp>（</rp> <rt>ほくせい</rt> <rp>）</rp> </ruby>時代。とても美しい王様がいたが、兵士は王様の美しさに見とれてしまい戦意が高まらないため、そこで王様は怖い面をつけ、闘いの指揮をとり大勝利をおさめたという。平安時代には、<ruby> <rb>競馬</rb> <rp>（</rp> <rt>くらべうま</rt> <rp>）</rp> </ruby>、<ruby> <rb>弓</rb> <rp>（</rp> <rt>ゆみ</rt> <rp>）</rp> </ruby>くらべ、<ruby> <rb>相撲</rb> <rp>（</rp> <rt>すもう</rt> <rp>）</rp> </ruby>などの祝賀会などで舞われていた。</p>
<p>②<ruby> <rb>右方舞</rb> <rp>（</rp> <rt>うほうまい</rt> <rp>）</rp> </ruby>・・・高麗楽で舞う舞楽。<br />
『<ruby> <rb>納曾利</rb> <rp>（</rp> <rt>なそり</rt> <rp>）</rp> </ruby>』・・・龍が楽しげに<ruby> <rb>戯</rb> <rp>（</rp> <rt>たわむ</rt> <rp>）</rp> </ruby>れる様子を表わした」<br />
（以上、『東儀秀樹氏の雅楽』より）<br />
<br />
即位礼と大嘗祭、神宮の式年遷宮に際しても御神楽や秘曲の奉納があり、毎年恒例の新嘗祭や歴代天皇の例祭における神楽歌の演奏などで、日本古来の国風歌舞は大切な祭祀の音楽とされています。<br />
毎年の宮中祭祀では、唐楽が祭祀音楽として演奏されています。<!-- // .parts_text_type01 --></p>
</div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://yuimakai.org/philosophy/shinto-japanese-culture/topics/2022/2/">
<title>相撲の起源</title>
<link>https://yuimakai.org/philosophy/shinto-japanese-culture/topics/2022/2/</link>
<description>

横綱の手数入り（土俵入り）

『大相撲と神道とは深い関連があります。
明治神宮では、毎年正月と秋の大祭のときにも横綱による手数入りが奉納されます。
相撲と明治神宮とのかかわりは長く、創建前、大正七年（一九一八）、明治神宮外苑の地鎮祭のときに、大日本相撲協会が地固相撲の神事を行ないました。また手数入りは、大正十一年（一九二二）に、横綱の大錦が拝殿前で奉納したのが始まりです。 ちなみに「手数入り」の「でず」とは、技の意味です。
大相撲本場所の前日には、土俵開きというお祭りを行ない、邪気を祓い場所中の息災(そくさい)を祈ります。

相撲の起源

『古事記』では、
建御雷之男神
（
たけみかづちのおのかみ
）
が
大国主命
（
おおくにぬしのみこと
）
の子の
建御名方神
（
たけみなかたのかみ
）
に力比べで勝ち、国を譲り受けました。
『日本書紀』に、第十一代
垂仁
（
すいにん
）
天皇の前で、
野見宿禰
（
のみのすくね
）
と
当麻蹶速
（
たきまのけはや
）
が相撲を取った伝説や、
皇極
（
こうぎょく
）
天皇の時代六四二年、
百済
（
くだら
）
からきた王族の使者のための
宴
（
うたげ
）
で相撲を
相撲
（
もよお
）
したという史実が残っており、相撲の起源といわれています。
相撲は、力比べだけでなく、豊作の吉凶を占う農耕神事としても行なわれてきました。
奈良時代七一九年、「
抜出司
（
ぬきでのつかさ
）
」という相撲を司る官職が置かれました。平安時代初期には毎年作物の豊作を祈る宮中行事「
相撲節会
（
すもうせちえ
）
」が行なわれ、三百年ほど続いたとのことです。
俳句で相撲は初秋の季語ですが、毎年七月（陰暦）に行なわれた宮中行事によるものだそうです。
ほかに、鶴岡八幡宮などの有力な社寺では、「相撲職」と呼ばれる専門職も作られました。

全国神社での相撲神事
 今も全国の神社では、相撲の奉納行事が数多く行なわれています。 その中の一部をご紹介しましょう。 「 唐戸山神事相撲 （ からとやましんじすもう ） 」（石川県： 羽咋 （ はくい ） 神社）は、垂仁天皇の皇子(みこ)で相撲好きとその 仁徳 （ じんとく ） で慕われた 磐衝別命 （ いわつくわけのみこと ） の命日に行なわれたのが始まりです。「水なし、塩なし、待ったなし」の文言で有名です。江戸時代、力比べが禁止される中、歴史ある行事として特別に許可されていました。毎年九月大祭のときに行なわれ、同県の無形民俗文化財に指定されています。 「 一人角力 （ ひとりずもう ） 」（愛媛県・ 大山祇 （ おおやまずみ ） 神社）は、力士が稲の精霊と相撲を取ります。観衆には一人で相撲をとっているように見えますが、その姿は大迫力で同県の無形民俗文化財に指定されています。毎年旧暦の五月五日に行なわれ、三番勝負のうち、人が一、三番を負け、豊作を祈願します。 「神相撲」（福岡県・ 八幡古表 （ やはたこひょう ） 神社）では、「 傀儡子 （ くぐつ ） 」という神様の人形が舞ったり、相撲を取ったりします。人形は三十センチや六十センチと様々で、四十七体あるうちの多くは鎌倉時代に作られ、国指定重要文化財です。 「泣き相撲」（栃木県・ 生子 （ いくこ ） 神社）は、子供の健やかな成長を祈願して、毎年九月の大祭のときに行なわれます。 「花相撲」（茨城県・鹿島吉田神社）では、毎年七月に子供たちが行列して神社に入り、可愛い紅白のまわしをつけて相撲を取ります。 



相撲絵　 不知火光右エ門 （ しらぬいみつえもん ） 　横綱土俵入　浮世絵　歌川国貞　
1825－1879　幕末-明治時代の力士
</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:date>2022-06-04T12:00:00+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[

<hr />
<h3 class="cms-content-parts-sin165490603071747900" id="cms-editor-textarea-sin165490603071751800">横綱の手数入り（土俵入り）</h3>
<div class="cms-content-parts-sin165490596259683500" id="cms-editor-minieditor-sin165490596259687600"><!-- .parts_text_type01 -->
<p>『大相撲と神道とは深い関連があります。</p>
<p>明治神宮では、毎年正月と秋の大祭のときにも横綱による手数入りが奉納されます。</p>
<p>相撲と明治神宮とのかかわりは長く、創建前、大正七年（一九一八）、明治神宮外苑の地鎮祭のときに、大日本相撲協会が地固相撲の神事を行ないました。また手数入りは、大正十一年（一九二二）に、横綱の大錦が拝殿前で奉納したのが始まりです。 ちなみに「手数入り」の「でず」とは、技の意味です。</p>
<p>大相撲本場所の前日には、土俵開きというお祭りを行ない、邪気を祓い場所中の息災(そくさい)を祈ります。</p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165490626699645600" id="cms-editor-textarea-sin165490626699657700">相撲の起源</h3>
<div class="cms-content-parts-sin165490624087774900" id="cms-editor-minieditor-sin165490624087783100"><!-- .parts_text_type01 -->
<p>『古事記』では、<ruby>
<rb>建御雷之男神</rb>
<rp>（</rp>
<rt>たけみかづちのおのかみ</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>が<ruby>
<rb>大国主命</rb>
<rp>（</rp>
<rt>おおくにぬしのみこと</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>の子の<ruby>
<rb>建御名方神</rb>
<rp>（</rp>
<rt>たけみなかたのかみ</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>に力比べで勝ち、国を譲り受けました。</p>
<p>『日本書紀』に、第十一代<ruby>
<rb>垂仁</rb>
<rp>（</rp>
<rt>すいにん</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>天皇の前で、<ruby>
<rb>野見宿禰</rb>
<rp>（</rp>
<rt>のみのすくね</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>と<ruby>
<rb>当麻蹶速</rb>
<rp>（</rp>
<rt>たきまのけはや</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>が相撲を取った伝説や、<ruby>
<rb>皇極</rb>
<rp>（</rp>
<rt>こうぎょく</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>天皇の時代六四二年、<ruby>
<rb>百済</rb>
<rp>（</rp>
<rt>くだら</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>からきた王族の使者のための<ruby>
<rb>宴</rb>
<rp>（</rp>
<rt>うたげ</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>で相撲を<ruby>
<rb>相撲</rb>
<rp>（</rp>
<rt>もよお</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>したという史実が残っており、相撲の起源といわれています。</p>
<p>相撲は、力比べだけでなく、豊作の吉凶を占う農耕神事としても行なわれてきました。<br />
奈良時代七一九年、「<ruby>
<rb>抜出司</rb>
<rp>（</rp>
<rt>ぬきでのつかさ</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>」という相撲を司る官職が置かれました。平安時代初期には毎年作物の豊作を祈る宮中行事「<ruby>
<rb>相撲節会</rb>
<rp>（</rp>
<rt>すもうせちえ</rt>
<rp>）</rp>
</ruby>」が行なわれ、三百年ほど続いたとのことです。</p>
<p>俳句で相撲は初秋の季語ですが、毎年七月（陰暦）に行なわれた宮中行事によるものだそうです。<br />
ほかに、鶴岡八幡宮などの有力な社寺では、「相撲職」と呼ばれる専門職も作られました。</p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165490620006616600" id="cms-editor-textarea-sin165490620006625300">全国神社での相撲神事</h3>
<div class="cms-content-parts-sin165490607900200000" id="cms-editor-minieditor-sin165490607900208200"><!-- .parts_text_type01 --> <p>今も全国の神社では、相撲の奉納行事が数多く行なわれています。<br /> その中の一部をご紹介しましょう。</p> <p>「<ruby> <rb><strong>唐戸山神事相撲</strong></rb> <rp>（</rp> <rt>からとやましんじすもう</rt> <rp>）</rp> </ruby>」（石川県：<ruby> <rb>羽咋</rb> <rp>（</rp> <rt>はくい</rt> <rp>）</rp> </ruby>神社）は、垂仁天皇の皇子(みこ)で相撲好きとその<ruby> <rb>仁徳</rb> <rp>（</rp> <rt>じんとく</rt> <rp>）</rp> </ruby>で慕われた<ruby> <rb>磐衝別命</rb> <rp>（</rp> <rt>いわつくわけのみこと</rt> <rp>）</rp> </ruby> の命日に行なわれたのが始まりです。「水なし、塩なし、待ったなし」の文言で有名です。江戸時代、力比べが禁止される中、歴史ある行事として特別に許可されていました。毎年九月大祭のときに行なわれ、同県の無形民俗文化財に指定されています。</p> <p>「<ruby> <rb><strong>一人角力</strong></rb> <rp>（</rp> <rt>ひとりずもう</rt> <rp>）</rp> </ruby>」（愛媛県・<ruby> <rb>大山祇</rb> <rp>（</rp> <rt>おおやまずみ</rt> <rp>）</rp> </ruby>神社）は、力士が稲の精霊と相撲を取ります。観衆には一人で相撲をとっているように見えますが、その姿は大迫力で同県の無形民俗文化財に指定されています。毎年旧暦の五月五日に行なわれ、三番勝負のうち、人が一、三番を負け、豊作を祈願します。</p> <p>「<strong>神相撲</strong>」（福岡県・<ruby> <rb>八幡古表</rb> <rp>（</rp> <rt>やはたこひょう</rt> <rp>）</rp> </ruby>神社）では、「<ruby> <rb>傀儡子</rb> <rp>（</rp> <rt>くぐつ</rt> <rp>）</rp> </ruby>」という神様の人形が舞ったり、相撲を取ったりします。人形は三十センチや六十センチと様々で、四十七体あるうちの多くは鎌倉時代に作られ、国指定重要文化財です。<br /> 「<strong>泣き相撲</strong>」（栃木県・<ruby> <rb>生子</rb> <rp>（</rp> <rt>いくこ</rt> <rp>）</rp> </ruby>神社）は、子供の健やかな成長を祈願して、毎年九月の大祭のときに行なわれます。<br /> 「<strong>花相撲</strong>」（茨城県・鹿島吉田神社）では、毎年七月に子供たちが行列して神社に入り、可愛い紅白のまわしをつけて相撲を取ります。</p> <!-- // .parts_text_type01 --></div><div class="cms-content-parts-sin165490754461796500"><!-- .parts_img_type19 -->
<div class="box parts_img_type19_box"><img alt="大相撲土俵入り" class="cms-easy-edit" id="cms-editor-image-sin165490754461805100" src="https://yuimakai.org/images/philosophy/topics/sumo-dohyoiri.jpg" width="675" /></div>
<!-- // .parts_img_type19 --></div>
<div class="cms-content-parts-sin165490643040423900" id="cms-editor-minieditor-sin165490643040435600"><!-- .parts_text_type01 -->
<p>相撲絵　<ruby> <rb>不知火光右エ門</rb> <rp>（</rp> <rt>しらぬいみつえもん</rt> <rp>）</rp> </ruby>　横綱土俵入　浮世絵　歌川国貞　<br />
1825－1879　幕末-明治時代の力士</p>
<!-- // .parts_text_type01 --></div>
]]></content:encoded>
</item>

<item rdf:about="https://yuimakai.org/philosophy/shinto-japanese-culture/topics/2022/1/">
<title>お盆と神道</title>
<link>https://yuimakai.org/philosophy/shinto-japanese-culture/topics/2022/1/</link>
<description>
再び冥府にかえる精霊を送るというお盆の送り火
京都五山の送り火は風物詩の一つ


古来からある祖先崇拝

お盆については、多くの方が仏教の行事とお考えと思いますが、元来は仏教伝来前より日本にある先祖祀(まつ)りがもとになっています。
ところが、江戸時代に入り、幕府が戸籍代わりに檀家(だんか)制度を作り、人々の先祖供養を仏式のみ許可したため、お盆も仏教のみの行事と認識されて、現在に至っているのです。
日本では、古くから神祭りと共に、ご先祖さまの御霊を丁重にお祀りする祖霊祭祀が行なわれ、人々は神と祖霊に平安な生活を願いました。
この神とは唯一絶対の神でなく、自らとつながりのある先祖が徐々に昇華して神となったご存在であると信じてきました。
年中行事の中で、お盆と正月が二大行事として重視されるのも、お盆がご先祖さまを、お正月が神様をお祀りする行事として、いづれも我々日本人とつながりのある祖霊や神々をお招きするという意味を持つからなのです。
ちなみに、仏教行事のお盆は、『 盂蘭盆経 （ うらぼんきょう ） 』という経典によるもので、仏弟子の 目蓮 （ もくれん ） が餓鬼道に落ちて苦しんでいる母親を救うために、お釈迦様の教えで、七月十五日に 安居 （ あんご ） （修行）を終えた僧侶を百味の飲食を供えて供養したところ、その功徳により母親を含め、七世の父母（七代前の先祖）まで餓鬼道から救済することができたという孝行説話に基づくものです。
仏教が伝来すると、 盂蘭盆会 （ うらぼんえ ） の行事が諸寺院において行なわれるようになり、当初は僧侶の供養が中心だった盂蘭盆会は、その後、日本に根付いていた祖霊祭祀と結びついて、ご先祖さまを祀る「お盆」となりました。

霊魂観の違い

日本では長らく 神仏習合 （ しんぶつしゅうごう ） でしたが、神道と仏教では、それぞれの霊魂観や葬祭はかなり違います。
仏教の理想は、六道（天界・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄）への生まれ変わりから脱して、湟 湟槃 （ ねはん ） に至ることですが、まだ迷いの中にいる人にとって仏式葬祭では、仏法の加護で故人が迷わず成仏できるよう祈ります。四十九日法要などを行なうのもこのためです。
これに対して神道は、現世を第一に考えています。人が亡くなった後も霊魂は不滅であり、祀られて鎮まった〝みたま〟は子孫を見守る祖霊となります。
こうした考え方により、葬祭では故人の生前の功績を称え、威徳を 偲 （ しの ） び、その後、祖霊祭（年祭やお盆・お彼岸）で亡くなられた方の〝みたま〟を丁重にお祀りするのです。
そこには、故人の霊魂と遺族との直接的な関係があります。神道では一般に五十日祭をもって忌明けとなります。

神式の祖霊舎

お盆の期間中、神道式の家庭では、祖先を祀るための祖霊舎(それいしゃ)を清めて、季節の物などをお供えし、家族揃ってご先祖さまをお祀りします。
故人の御霊が移された 霊璽 （ れいじ ） が、祖霊舎の中に納められています。
神社のお神札を祀る神棚とは別に、神棚より低くなるよう安置します。

幽世・隠世

神道には、「 幽世 （ かくりよ ） ・ 隠世 （ かくりよ ） 」、「 顕世 （ うつしよ ） ・ 現世 （ うつしよ ） 」という言葉があり、対語として使います。幽世・隠世は、 黄泉 （ よみ ） 、 幽冥 （ ゆうめい ） などの名称でも表され、霊魂が常住し活動している世界で、現世からは容易に知ることができない超自然的な世界のことです。
一般には死後に霊魂がいく、いわゆる「あの世」と考えられがちですが、『古事記』や『日本書紀』などの神話では、必ずしも死後の世界とは考えられていません。なお幽世への関心が高まったのは、江戸時代後期、国学の四大家の一人、 平田篤胤 （ ひらたあつたね ） 以降です。
</description>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:subject></dc:subject>
<dc:date>2022-06-03T12:00:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin165422872671558400" class="cms-content-parts-sin165422872671576100">
<p>再び冥府にかえる精霊を送るというお盆の送り火<br />
京都五山の送り火は風物詩の一つ</p>
</div>
<hr />
<h3 class="cms-content-parts-sin165424737641580500" id="cms-editor-textarea-sin165424737641614400">古来からある祖先崇拝</h3>
<div id="cms-editor-minieditor-sin165490586331802900" class="cms-content-parts-sin165490586331814300">
<p>お盆については、多くの方が仏教の行事とお考えと思いますが、元来は仏教伝来前より日本にある先祖祀(まつ)りがもとになっています。<br />
ところが、江戸時代に入り、幕府が戸籍代わりに檀家(だんか)制度を作り、人々の先祖供養を仏式のみ許可したため、お盆も仏教のみの行事と認識されて、現在に至っているのです。</p>
<p>日本では、古くから神祭りと共に、ご先祖さまの御霊を丁重にお祀りする祖霊祭祀が行なわれ、人々は神と祖霊に平安な生活を願いました。<br />
この神とは唯一絶対の神でなく、自らとつながりのある先祖が徐々に昇華して神となったご存在であると信じてきました。</p>
<p>年中行事の中で、お盆と正月が二大行事として重視されるのも、お盆がご先祖さまを、お正月が神様をお祀りする行事として、いづれも我々日本人とつながりのある祖霊や神々をお招きするという意味を持つからなのです。</p>
<p>ちなみに、仏教行事のお盆は、『<ruby> <rb>盂蘭盆経</rb> <rp>（</rp> <rt>うらぼんきょう</rt> <rp>）</rp> </ruby>』という経典によるもので、仏弟子の<ruby> <rb>目蓮</rb> <rp>（</rp> <rt>もくれん</rt> <rp>）</rp> </ruby>が餓鬼道に落ちて苦しんでいる母親を救うために、お釈迦様の教えで、七月十五日に<ruby> <rb>安居</rb> <rp>（</rp> <rt>あんご</rt> <rp>）</rp> </ruby>（修行）を終えた僧侶を百味の飲食を供えて供養したところ、その功徳により母親を含め、七世の父母（七代前の先祖）まで餓鬼道から救済することができたという孝行説話に基づくものです。</p>
<p>仏教が伝来すると、<ruby> <rb>盂蘭盆会</rb> <rp>（</rp> <rt>うらぼんえ</rt> <rp>）</rp> </ruby>の行事が諸寺院において行なわれるようになり、当初は僧侶の供養が中心だった盂蘭盆会は、その後、日本に根付いていた祖霊祭祀と結びついて、ご先祖さまを祀る「お盆」となりました。</p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165424743815613300" id="cms-editor-textarea-sin165424743815617300">霊魂観の違い</h3>
<div id="cms-editor-minieditor-sin165424745894982000" class="cms-content-parts-sin165424745894990100">
<p>日本では長らく<ruby> <rb>神仏習合</rb> <rp>（</rp> <rt>しんぶつしゅうごう</rt> <rp>）</rp> </ruby>でしたが、神道と仏教では、それぞれの霊魂観や葬祭はかなり違います。</p>
<p>仏教の理想は、六道（天界・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄）への生まれ変わりから脱して、湟<ruby> <rb>湟槃</rb> <rp>（</rp> <rt>ねはん</rt> <rp>）</rp> </ruby>に至ることですが、まだ迷いの中にいる人にとって仏式葬祭では、仏法の加護で故人が迷わず成仏できるよう祈ります。四十九日法要などを行なうのもこのためです。</p>
<p>これに対して神道は、現世を第一に考えています。人が亡くなった後も霊魂は不滅であり、祀られて鎮まった〝みたま〟は子孫を見守る祖霊となります。<br />
こうした考え方により、葬祭では故人の生前の功績を称え、威徳を<ruby> <rb>偲</rb> <rp>（</rp> <rt>しの</rt> <rp>）</rp> </ruby>び、その後、祖霊祭（年祭やお盆・お彼岸）で亡くなられた方の〝みたま〟を丁重にお祀りするのです。</p>
<p>そこには、故人の霊魂と遺族との直接的な関係があります。神道では一般に五十日祭をもって忌明けとなります。</p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165424748867714200" id="cms-editor-textarea-sin165424748867718400">神式の祖霊舎</h3>
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<p>お盆の期間中、神道式の家庭では、祖先を祀るための祖霊舎(それいしゃ)を清めて、季節の物などをお供えし、家族揃ってご先祖さまをお祀りします。</p>
<p>故人の御霊が移された<ruby> <rb>霊璽</rb> <rp>（</rp> <rt>れいじ</rt> <rp>）</rp> </ruby>が、祖霊舎の中に納められています。</p>
<p>神社のお神札を祀る神棚とは別に、神棚より低くなるよう安置します。</p>
</div>
<h3 class="cms-content-parts-sin165424754856093200" id="cms-editor-textarea-sin165424754856098100">幽世・隠世</h3>
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<p>神道には、「<ruby> <rb>幽世</rb> <rp>（</rp> <rt>かくりよ</rt> <rp>）</rp> </ruby>・<ruby> <rb>隠世</rb> <rp>（</rp> <rt>かくりよ</rt> <rp>）</rp> </ruby>」、「<ruby> <rb>顕世</rb> <rp>（</rp> <rt>うつしよ</rt> <rp>）</rp> </ruby>・<ruby> <rb>現世</rb> <rp>（</rp> <rt>うつしよ</rt> <rp>）</rp> </ruby>」という言葉があり、対語として使います。幽世・隠世は、<ruby> <rb>黄泉</rb> <rp>（</rp> <rt>よみ</rt> <rp>）</rp> </ruby>、<ruby> <rb>幽冥</rb> <rp>（</rp> <rt>ゆうめい</rt> <rp>）</rp> </ruby>などの名称でも表され、霊魂が常住し活動している世界で、現世からは容易に知ることができない超自然的な世界のことです。</p>
<p>一般には死後に霊魂がいく、いわゆる「あの世」と考えられがちですが、『古事記』や『日本書紀』などの神話では、必ずしも死後の世界とは考えられていません。なお幽世への関心が高まったのは、江戸時代後期、国学の四大家の一人、<ruby> <rb>平田篤胤</rb> <rp>（</rp> <rt>ひらたあつたね</rt> <rp>）</rp> </ruby>以降です。</p>
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